指先から、痺れが広がってゆく。
手の爪先からそれは始まり、掌、腕、四肢、全身へと意識すると同時に侵食していった。或いは逆か、全く違う順序であったかもしれなかったが、枢木スザクの、衝撃で麻痺した脳髄では、それを正確に理解する事など到底出来なかった。
スザクにはこの感覚に覚えがあった。幼い頃に一度、まったく同じ感覚を受けた事があった。

(しらゆきひめ、)

――思い知ればいい。おもいしれば、いい――

5年前の自分の言葉が頭の中を木霊する。
視界が歪んで、「世界」が戻ってくる。

この1週間後、同等以上の衝撃が彼を襲う事をスザクは知らない。





季節は夏。
暦の上では未だ初夏であったが、身体に纏わりつく様な暑さは大人子供に関わらず、十分に真夏の到来を告げていた。
連日「茹だるような」といった言葉を冠する温度も、けれどスザクにとっては楽しいものだった。勿論、わざわざ好き好んで望もうとも思わないが。
そもそも、現在スザクが居るのは、太陽光がコンクリートを照り返し、空からも地上からも憎悪の篭もった集中攻撃を受けているような都心ではない。
地面は剥き出し、木々はまるで森のように鬱葱と茂り連なり、強すぎる太陽の光を遮断している。時折吹く風は、この季節にしては十分に爽やかなものだった。

つまりは、スザクが居るのは一級の避暑地である。

スザクがここへ来る事となったのは、ひとえに父の都合であった。スザクの父であり、日本有数の名家である「枢木」の名を継ぐ枢木ゲンブは、日本の現在の首相――総理大臣だ。
去年までならば、もう少し賑わいのある場所で夏を楽しんでいたのだが、今年は父の政治上の客人――さる高貴な方、とスザクは聞かされている――が、療養できるような場所を望んでいるので、人の喧騒の少ない、枢木の所有する避暑地が選ばれたという事で。
そして歳が近いという事でスザクが呼ばれ、遊び相手をしろと言い付けを受けている。
最初から最後までスザクの意志が介入できる余地は一切無かったが、スザクは特に気にする事も無かった。
父や周りのおかげで、人よりも豊かで恵まれた環境で生活しているのだから、それによって派生する様々な責任だとか代償は、背負わなければならないと、スザクは幼いながらも理解していた。

何より、実のところスザクは楽しみで仕方が無かったのだ。
自分と同じ歳のブリタニアの皇子が――。


スザクは私立の男子校に通っている。幼稚園から大学まであるエスカレーター式で、いずれも政治、経済界だけに留まらず、各界の著名人の子息が通う、いわゆるお坊ちゃま校だ。
似たような親の事情を持つ彼等は、成長するにつれ、親同士の関係をそのまま写し取ったかのような派閥を作り上げていくが、まだまだ幼いスザクの年代の子供達はそれを敏感に感じ取りながらも、概ね気にする事無く、遊び合っていた。
それが大切なのだと、スザクは知っている。
「子供は子供らしく。」、よく大人達が子供に押し付けがちな夢だが、それは真理だ。
見える世界は、自分の身長までで、良い。
歳を取るにつれ見える世界は広がり、選択肢は減っていく。その時に後悔しないように、子供の時分は、子供しか出来ない事を精一杯やるだけだ。
そう言ったスザクを、彼の父は微苦笑でもって聞いていた。
『お前は、子供らしいと言って良いのか分からないな。』
それでも、声は誇らしげだった。
『だがな、その正しさはお前だけのものだ。他の子にはその子だけの正しさもあるのだと忘れてはいけないよ。』
『はい。』
父はスザクの頭を撫でて、真顔になって、言った。
『これから来られる方々も、お前とは違う正しさの中で生きて来られた方だ。
お前の正しさは通用しないかもしれないし、簡単に切り捨てられるかもしれない。
だが、気負う必要は無いから、お前の正しさのままで接してみなさい。』
スザクと同じ、深緑の双眸が強い光を湛えてスザクを見つめた。
『その後、自分を貫くのも、相手を受け入れるのも、お前の自由だ。
――ただ、』
視線に、僅かに痛みが混じる。
『出来るなら、力になってあげなさい。』
了解の意を以って、スザクは強く見つめ返した。





父から紹介されたのは2人の子供。
一人はスザクよりも年下の女の子。ふわふわの柔らかそうな亜麻色の髪を左右で結んでいて、車椅子に座ったまま、目を閉じている。
父からは何も言われていなかったが、眠っている訳では無い様なので、目が見えないのかもしれない、とスザクは憶測をたてた。
僅かに震える彼女の手を、もう一人の子供が優しく包み込んで、スザクに向き合った。



魂の芯から美しいものは、まるでその魂をかたちづくったように、姿も美しいのだと、スザクの祖父は言った。そして、そういう存在は立っているだけでその場を支配するのだと。
枢木の深所におわすという『姫』の事を祖父は言ったが、今、まったく別の存在によって、スザクはその言葉の意味を理解した。

黒檀のような、くろい、髪。
雪のように、しろい、肌。
くちびるはほのかに、あかく。
大きなむらさきの瞳は宝石のようだった。
スザクの母が生きていた頃、枕元で語ってくれた御伽噺のお姫様のように。

(――しらゆきひめ)

スザクの夢想をそのままに写し撮ったかのような、眼前のスザクと同じ年の子供は、しかし性別だけが物語と違っていた。
女の子に見えるほど可憐ではあったが、スザクにはその性別が男であると瞬時に判った。
直感だ。
柔和に細められた両目の奥に、全てを凍てつかせるような刃が潜んでいる様に感じた。
そして、その刃の輝きさえも、うつくしかったのだ。
祖父の、言葉通り。

「初めまして。」
声は、自分と同じ、子供のそれ。
けれど、含まれた威厳と絶対的な引力は大人以上だ。
「神聖ブリタニア帝国、第十七皇位継承者のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです。この子は妹のナナリー。
短い間ですが、どうぞ宜しくお願いします。」

ひたすら見惚れるスザクに、彼は笑って手を差し出した。

それが、最初の接触。








2006.12.01