「――しかし、本当に良いのか?」
『許可は貰ってあるから大丈夫!』
ここに入るまでの許可が無い『許可』とは一体どんな許可だ、とルルーシュは突っ込みそうになった。
「…お前って、誰も居ないと大胆になるよな」
『ルルーシュは逆に慎重になるけどね』
俺は何時でも慎重だ、と言うルルーシュの言葉をスザクはランスロットを立ち上げながら聞いていた。ランスロットに関する許可ならとっている。――それが果たして正式なものであるのかはスザクには断言できないが、少なくともロイドは二つ返事でOKしてくれた。セシルも何かあったらすぐに駆け付けると言ってくれたから、ルルーシュが心配することは何も無い。
ルルーシュが知れば、それこそ「何かあるような事をするつもりなのかお前は?! 何処が大丈夫なんだ!」、と大激怒しそうな事をスザクは考える。
けれど、今日だけは大目に見てもらおう、と図々しく思って、スザクは作業を進めていく。
(だって、初めてなんだよ? ルルーシュ。)
きっとルルーシュは、スザクが何でこんな事をしているか気付いていない。今日という日を忘れている訳では無いのだろうが、あまり自分のこういったイベントには関心が無いから、仕方がない。
(――ナナリーの時はそれこそ何週間も前から準備するんだろうけど)
何たって彼女はルルーシュの生きる意味に等しい。
「正面ゲートを開ければ良いのか?」
『うん。出来る?』
「出来はするが…余り目立つなよ。行き先が郊外とはいえ、軍用地以外にナイトメアが居るのは本来なら有り得ないんだから。」
タッチパネルを操作しながらルルーシュが唇を尖らす。余り乗り気でない口調とは逆に、指先の動きは滑らかだ。どうやらここのパスコードも知っているらしい。
『大丈夫だよ。ルルーシュ』
ほどなくして、シャッターが上がってゆく。見えた空に、未だ太陽の気配は無い。月と星々の綺麗な夜だ。明日――正確には既に今日だが――は晴れるだろう。
シャッターと同時に、その向こうにある、軍のベースと公共路を区切る正面ゲートが開いた。今頃ゲート前の門番はランスロット発進のサインに首を傾げているかもしれない。
『ほら、ルルーシュ乗って。』
ランスロットの左手を差し出せば、完全に諦めの付いたルルーシュが大人しくランスロットの手の平に乗った。ランスロットはそれを大切そうに抱え込む。大きな掌の中に居るルルーシュは、まるでお人形さんの様だと、スザクは思った。
――何より大切な、スザクとランスロットの主。
胸部にあるファクトスフィアのセンサーアイで、滑走路に障害が無い事を確認して、スザクはランスロットのランドスピナーを展開させた。
(急がないと時間が無くなっちゃうな)
『MEブースト…』
インカムから聞こえてきたスザクの声にルルーシュはぎょっとした。
「ちょっと待て、スザク!」
ランスロットがルルーシュを抱えたまま姿勢を低くする。慌ててルルーシュはランスロットの指にしがみ付いて身体を丸める。まさか、な衝撃に備える為だ。
『ランスロット、発進!』
(やっぱりかっ!!)
生身の人間を抱えたまま最高速度で発進されたナイトメアに、ルルーシュは泣きそうになった。
『あ、あの、ゴメンナサイ。』
「………………」
『スミマセンでした』
「………」
『申し訳ありません』
「…お前は、」
『はいっ!』
「人間はGや風圧だけでも死ねるという事を一度思い知った方が良い。」
『……ハイ。』
人はおろか車もまるで見当たらない、深夜の道路を滑走しながら、スザクはランスロットの中で縮こまる。
今も結構なスピードで走行しているのだが、発進時と比べたら雲泥の差だ。
ルルーシュは今もランスロットの手のひらに座ったまま、当たる冷たい風を楽しんでいた。五臓六腑を吐き出しそうになった身体には、何よりの薬だ。
発進した直後、原因不明のエラーによりランスロットが急停止を求めた際、センサーアイに写ったのはぐったりとしたルルーシュの姿であった。
大事には至らなかったが、あのまま進んでいたら冷たくなっていたに違いないルルーシュを思って、スザクは背筋が冷えた。本気で。
(神様仏様ランスロット様有難う御座います…)
何故スザクよりも先にランスロットが気付いたのかは謎だが、兎に角もスザクはエラーとセンサーに感謝した。
帰ったらロイドに報告しなければならないだろうが、スザクが先程一通りチェックした時には原因は見付からなかった。
(…生体反応を察知した?)
そういう機能もあるのだろうか。
スザクは余りランスロットの事に詳しくは無い。ルルーシュの方が実は遥かに詳しい。技術部内でした会話からすると、ルルーシュの情報源の一つはロイドである様なので、それは当たり前なのかもしれないが。本格的にパイロットとして情けなくなったので、もっとランスロットの事を勉強しよう、とスザクは心に決めた。
ピピ、っとランスロットの認証音が鳴った。
目的地はすぐそこだ。
辿り着いた場所は、郊外の海岸線。
空と海が闇に同化して、色合いを同じにしていた。
ぽっかりと浮かぶ2つの月だけが、その在り処を明確にしている。一つは雲を弾きながら。一つは水面に揺らぎながら。
「ここ?」
『うん。ここ。よかった、間に合った』
ほっとしたようにスザクの声が静寂に響く。
何に、と訊ねるほどルルーシュは無粋ではない。
実は弾んでいる心をスザクには教えないで、水平線に目を遣る。
風に、水面が波紋を作り、ルルーシュ達の方へ押し寄せてくる。
そして次の瞬間には総てが彩りを変える。空も海も大地も、ランスロットでさえ。
曙光。
せかいを、生み出す、ひかり。
月が浮かんだままの空を、白と蒼に。月が消えた水面を、紫と金色に暗闇を塗り分けてゆく。瞬く間に世界は七色に変わる。
『この景色を、君に見せたかった。』
ランスロットに搭乗したままのスザクの表情を窺い知る事は出来ない。けれど声には懐かしむような、悲しみとも歓びともしれない感情が含まれている。
ルルーシュは、その胸に去来するものの名前を知らない。懐古とも憧憬、ましてや改悔ともつかないそれは、心を切り開いても曝け出せないものだ。
それでも、続く想いは、きっとルルーシュと同じもの。
「……『この風景を、一緒に見たかった』。」
世界の始まりも終わりも。そこへの移り変わる様も、総て。
――ずっと、一緒に。
ランスロットの掌から降りたルルーシュが真っ直ぐにスザクを見上げた。
何ものにも折れない意思を宿した眼が、朝陽の光できらきらと輝く。スザクを導く、一条のひかり。
夜は闇を眷族とし、朝は光を従えて君臨する、スザクの主。
(これが、見たかった。)
沸き上がる歓喜と、畏怖にも似た服従の念のままに、自然と膝をついた。
「スザク、」
『誓いを、お赦し下さい。』
ルルーシュが息を呑む音が聞こえた。
『我が身を以って、御身が剣とし盾と成る事をお赦し下さい。』
神に等しい絶対者に、祈りを捧げる敬虔な信者の様に。
『御身が15の誕生を迎えし、この喜ばしき祝聖の日に、我が血と肉と魂を捧ぐ事を。』
陶々と込められた熱は、如何程であったか。
跪いてなお、厖大なランスロットをルルーシュは仰視する。
スザクはその視線も、ランスロットが遮る風の冷たさも、直に肌で感じた。
五感が冴え渡っていく。
ランスロットがスザク自身であるかのように。ランスロットの感覚と、スザクの思考がシンクロしているような感覚。
動かそうとする必要もなく「スザク」は動き、「ランスロット」は祝詞を告げる。
『御身の喜びを我が歓びとし、御身の敵を我が剣で貫く事を、お赦し下さい。』
懇願に、ルルーシュは嫣然と笑う。その美貌を最も引き立たせる笑みで。
「そしてお前は、私に何を望むか」
『――ただお傍に在る事を。』
――そばに、いるよ――
響いたこえは、幼子のもの。
魂の底意に刻み込まれた祈り。
スザクは、何時でもルルーシュに残酷だ。
残酷で容赦が無くて、なにものよりもルルーシュを甘やかす。
スザクにとっての、ルルーシュがそうであるように。
「――名を。其を以って誓約の証とす。」
『枢木スザク。機はランスロット。』
「…ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名に於いて、汝らを我が騎士として迎える。
しかれども影従は必要ない。――ただ友で在れ。」
『はっ。』
忠誠は必要ない、とルルーシュは告げる。
ほんの少しの差異と共に、ルルーシュはその望みだけは、受け取れない。
それでも、スザクは構わなかった。一番大切なものは2人とも理解している。
「……俺は、」
『ルルーシュ?』
「俺は、お前が想うほど、俺自身に興味を見出せないと、思う。」
『うん。』
「…それなのに、いつだってお前は俺に理由をくれるんだな」
――しあわせに、なるんだ――
いきていいよ、と。
生を望めなかったルルーシュに、未来をくれたように。
『…ルルーシュ』
「すざく、」
『誕生日、おめでとう。』
「………馬鹿。」
幼き日の祈りにあったのは嘆きと痛みと涙。
そして、死。
スザクは目を閉じる。
もう、自分達は泣いていない。
『何だか変な感じだよね。
ずっと一緒に居たような気がするのに、誕生日も初めて祝ったなんて。』
「実際には、半年も一緒に居なかったんだからな」
俺はお前を祝った事は一度も無い、とルルーシュは不満げだ。
考えてみれば共に過ごした月日は、お互い学友や同僚の方が断然長い。それなのにこんなにも強く執着していられるのだから、不思議だ。
まるで刷込みのように、スザクとルルーシュは傍にいる事を望む。
幼い日の『誓い』のままに。
「それにしても、お前って恥ずかしいヤツだよな」
上目遣いでルルーシュが呟く。眼も口元も意地悪げに細められる。悪戯っ子の表情だ。
『え、何が?』
「誕生日の贈り物が、忠誠の誓願と日の出の景色。女なら泣いて喜びそうなシチュエーション。」
『ルルだって喜んだくせに。』
「お前からの贈り物を喜ばない俺では無い、と学習するべきだな、スザク。おまけにランス付だ。」
からかいを乗せた声音でルルーシュが満足げに言った。スザクは顔に熱が溜まるのと同時に、ちょっとだけ引っ掛かりを覚える。
(もしかして最後が本音…?)
小さな泡の様に浮かんだ疑惑は、しかし続くルルーシュの発言に弾け飛んだ。
「お前、あの場所、前の彼女に教えてもらっただろう。」
『…ナンノコトデショウカッ!?』
上擦った声が何よりもの肯定だ。
「軍の寄宿舎から離れすぎているから異動手段は車。お前は免許が無いから、付き合っていたのは結構年上の女かな。車持ちの」
『冷静に推察しないでクダサイ……』
「結構お前遊んでたらしいな。
誰と付き合おうが、別にそこまで干渉する気は無いがヘマは打つなよ。お前を通じて俺にまで火の粉が掛かるのは御免だ。」
ルルーシュは何を思い出してか、うんざりと溜息を吐いた。
その様子に、先程とは別の意味でスザクは慌てる。
『何その実体験からくるみたいな溜息! 何があったのルルーシュ!』
「5年は長いぞー。女は怖いからお前も気を付けろよ」
『ルルーシュこそ遊んでたんじゃ…っ?!』
「俺は学生業と総督業その他の多重生活なんだが。」
何処にそんな余裕がある?と馬鹿にしてやれば、スザクはランスロットごと縮こまったようだった。
『…申し訳ありません、ゼロ様。』
(――スザクは弄ばれたいタイプだな)
と、スザクが知れば立ち直れないような事をルルーシュは考える。
(ランスロットは言うに及ばず。)
何たってナイトメアだ。
結局、有耶無耶になった疑惑にルルーシュは咽を震わせる。
新しく始まった世界は、眩いばかりに燦爛と輝いて見えた。
2006.12.05