例えば、それは少しずつ蓄積されていくものなのかもしれない。
システムに繋がって、パーツの一つとなって。
生み出された膨大なデータの中の、ほんの僅かなひと欠片。
他のナイトメアでも、搭乗者の『癖』として現されるもの。

機械の、キオク。

果たして跪いたのは、『どちら』の意思か。





深夜の、技術部。
作戦展開時やトラブルがあった時ならともかく、平時の現在では、誰も居ない静まり返った空間。
小さな足音でさえ、人の居ない空間では大きく響き渡って、何だか吃驚する。吃驚して、誰も居ないと判っているのに足音を忍ばせてみたり。
きっと深夜の学校を探索する子供と同じ心持ちなのだ。今の自分は。そう、スザクは思う。
何だか楽しくなって、スザクは一人何も無いのに笑った。斜め前を歩くルルーシュが訝しげにスザクを振り向くのに、より一層顔が崩れていく。きっとルルーシュには分からない心情だろう。
「やってはいけません。」と注意されている事を、友達と一緒に破る事への、昂揚。

「あんまり可笑しな事考えてると、帰るぞ俺は。」
ルルーシュの声が一面に響く。慌ててスザクが顔を戻せば、ルルーシュは満足げに鼻を鳴らした。
ルルーシュは高慢ちきな表情が良く似合う。
「帰りは来た道は使えないから、そうなったらお前、朝までここに一人きりだな。」
「使えないんだ?」
「あの道は入る時専用だ。出るのには別の通路がある。」
深夜の軍内部に入り込めたのは、ルルーシュが方法を教えてくれたからだ。
一応一般人のルルーシュが軍人のスザクでさえ知らない通路やパスコードを知っていたのには、驚くというより呆れてしまったが、おかげで誰にも見付からず、警報にも引っかからずに2人で悠々と歩いていられる。
(でもパイロットスーツのあるロッカーの場所まで知らなくても良いと思う。)
これではどちらが軍に属する人間なんだか、判ったものではない。

今のスザクの格好は、白を基調としたランスロットのパイロットスーツに着替えてある。ランスロットが目的なのだから当たり前だが、ルルーシュは平素と同じ私服姿だ。
私服の民間人に先導されて進んで行くパイロットというのは、ちょっと情けないかもしれない。
スザクがランスロットのデヴァイサーとなり、技術部に異動になってから日が浅い。浅いとは言っても、既に丸々3ヶ月は経っているのだ。そのスザクより足取りに迷いの無いルルーシュは一体何時からこの場所に出入りしているのだろう。
(機密って一体…)
何処か遠くに思考を飛ばしかけた現役軍人の枢木スザク15歳は、ルルーシュが階段を降り始めるのに気付いて慌てて声を掛けた。結構薄暗くて危険なのだ。
「ルルーシュ、気を付けて。」
「…お前は本当に俺を心配するのが大好きだな。」
呆れを全面に押し出してルルーシュが言った。
けれど手すりを掴んで段差を見たまま答えたから、スザクの忠告はしっかり聞き入れてもらえたらしい。
「何なら手を繋いで歩いてやろうか?少しは安心するだろう。」
「ルルーシュがそうしたいのなら僕に否やは無いけど、厚かましくも希望を聞き届けて頂けるなら、横抱きにして攫って行きたいと思っているよ。」
「吐き気がするほど大変魅惑的な提案を有難う。スザク。
もう二度と口を開かなくて良いぞ。俺が許す。」
ひどいなぁ、とスザクは笑った。
こんな他愛の無い会話が、2人にとっては酷く嬉しい。5年間、ずっと焦がれてきた存在がすぐ傍に在る事が、何より幸せに思えた。

もっと早く、逢う事は可能だったのだ。きっと。
こんなにも時間が掛かってしまったのは、どちらの所為とも言えないが、お互いに理解し合っている様に見えて、その実、擦れ違ってばかりなのは昔から変わらないらしい。
しかも、それが相手を思いやって、気を使った結果であるというのが、何とも微妙な所だ。
これは如何にかしないといけないなぁ、とスザクは溜息をついた。
その溜息を先程の遣り取りの名残だと勘違いしたルルーシュがからかう様に続ける。
「お前は昔から心配性過ぎるんだ。
昔は確かに体力が無さ過ぎだったけど、今はそうでもないぞ? 人並みにはあるさ。」
「人並みよりは少ないと思うけど。」
「お前の基準は宛てにならないんだ。この体力バカ。」
「ルルーシュだってアテにならないよ。……でも、そうか。人並み、か」
良かった、と安心した様に微笑むスザクに、なんだか恥ずかしくなってルルーシュは言い訳を口にした。
「元々、あの頃の体力が無さ過ぎだったのは、自業自得だ。
今はもう『必要』も無いし、大分薄れた。――猫だって飼えるさ」
「それは僕に対する当て付け?」
スザクがブスくれた。墓穴を掘ったことに彼は気付いていない。ルルーシュはにやりと笑った。
「やっぱりお前、まだ猫に嫌われてるんだな。」
何故かスザクは昔から猫に嫌われる。手を出せば噛まれる。抱こうとすれば引っ掛かれる。近付くと逃げられるのだ。――逆にルルーシュは動物全般にやけに好かれる。
昔、2人並んで座っている時に、スザクをミミズ腫れだらけにした犯人がすぐ傍のルルーシュの膝の上で寝始めた時は、本当にショックだった。「心が優しくないって分かるんじゃないか?」と笑顔で追い討ちをかけたルルーシュを、スザクは当時一瞬本気で恨めしく思ったものだ。今では良い思い出だが。

それでも、スザクはほんの少しだけ残念に思った。
猫を飼えなかった理由も、体力が酷く少なかった理由もスザクは聞いている。『必要』の意味も。
ルルーシュの血に流れる重たさを。
それを聞いた時、その血を受けて終わりを迎えるのも幸せかもしれない、という思いがスザクの脳裏によぎった。ルルーシュは傷付くだろうから、何があっても言うつもりは無いが。

階段を下り終わって、話題の裏に潜む暗さを払拭するかのようにルルーシュが振り返って言った。ランスロットはもう目の前だ。
「でも良かったじゃないか。猫には好かれなくても、変人とナイトメアには好かれてる。」
「…慰めになってないよ、ルル」
変人とは間違い無くロイドの事だろう。
「ルルーシュはやっぱりロイドさんの事知ってたんだ?」
「あんなのと知り合いな訳じゃないが、共通項がある。」
「…まさかと思うけど」
「シュナイゼルだ。」
スザクの躊躇いも気にせず、あっさりとルルーシュは答える。
シュナイゼル。第二皇子にして、ルルーシュの義兄。ロイドの直属の上司であった人物だ。
「あー……って、いいの?!」
命令系統の別れていた特別派遣技術部、通称『特派』も、今では完全にクロヴィス――エリア11の所属となったとはいえ、ロイドとシュナイゼルの繋がりが無くなったとは考えにくい。
ルルーシュはブリタニアでは死んだ事になっているのだから、拙いのではないだろうか。ロイドを通じて第二皇子や本国にバレたら。
焦るスザクを余所にルルーシュはそっけない。
「お前の心配は判るが、順序としては逆だ。
シュナイゼルは俺が生きている事も居場所も知っている。」
「何時から?!」
思わず大声で叫んでしまった。スザクの声が山彦の様に、広い一室を木霊した。
「最初から。特派がこっちに来た時も、わざわざ『お前にやるから好きに使え』って連絡まで寄越したしな。
…何を考えているんだか分かったものじゃない。」
「何となく判る気もするけど……」
もしかしなくてもアレか。アレなのか。厄介払いをされたんじゃあないだろうか。
ロイドの人となりを思い返してスザクは乾いた笑いを浮かべた。
「…でも大丈夫?向こうの出方次第でどうとでもなるんじゃあ――」
「その為の『ゼロ』だ。」
ルルーシュは不敵に笑った。

始めの頃、ルルーシュがゼロとしてエリア11の政治に手を出したのは、あまりにクロヴィスやブリタニア側のやり方が酷かった為だ。名目上だけとは言え、仮にも同盟国に対する統治ではなかった。ルルーシュはこの国とここで暮らす人々を愛していたから、危険でも介入しない訳にはいかなかった。
それでも、体制の整い終えた今なお、ルルーシュがクロヴィスの手助けをしている理由は、兄弟の情などではありはしない。
シュナイゼルやクロヴィス、或いは他の何者かによってルルーシュとナナリーの存在が明らかになってしまった時への備えであり、力だ。自分達を護る為の。
もしバレたら全ての責任をクロヴィスに押し付けてルルーシュ達はトンズラする気満々なのだが、それが出来なかった時は闘うしかない。ルルーシュには、もう一度あの場所で生きる気は毛頭無いのだから。
だからこそ、『ゼロ』は今なお、その手を広げ続ける。ひそやかに。ブリタニアにも、エリア11の人間にも気づかれること無く。静かに。ゆっくりと。
スザクと再会する少し前にも、優秀な『耳』になりそうな男を見つけた事を思い出して、ルルーシュはほくそ笑んだ。
「悪いカオになってるよ、ルルーシュ」
「お前にとっても人事じゃ無いんだぞ?スザク。」
「何たってルルの『騎士』ですから。」
そう言える事が本当に嬉しいのだと、スザクは誇らしげだ。5年間、言う事の出来なかった言葉だ。
「二重の意味で、な。」
ルルーシュは眼前の、薄暗闇でもなお白いナイトメアを見上げる。

世界でたった一つの第七世代のナイトメアフレーム「ランスロット」。
ブリタニア軍の技術部試作嚮導兵器。乗る人間を選び、脱出機構も無い為、量産はまず不可能な一品だ。
その分、適合率の高いデヴァイサーを得た時の戦闘力は一軍に匹敵する程。
スザクの――そして、ルルーシュの、機体。
『初対面』の時のルルーシュの印象は白兜なのだが、それを言うとスザクに馬鹿にされる事請け合いなので、ルルーシュは沈黙を守っている。
「スザクがランスロットのデヴァイサーになった事で、『主』も俺もアスプルンドにとって意味を持った。
せいぜい頑張ってもらうぞ。アスプルンドはランスロット命だから、お前次第では完全に『こちら側』に引き込む事も可能だ。」
「イエス、マスター。」
にっこりと、2人顔を合わせて笑った。








2006.12.03