「やぁ、おっはよーう!」
軍隊には似つかわしくない、何処かとぼけたような底抜けの明るい声が響いた。
顔を見ずに、それが誰のものであるのか瞬時に理解して、スザクは思い切り眉を顰めた。声そのものよりも、判断できてしまう自分が何よりも嫌だった。
「…おはよう御座います」
「んーん? 何だか元気無いねぇ枢木一等兵。ダメだよー、カラダはパイロットの基本なんだから!」
あなたの所為です、とは流石に上官に対して言えない。
ロイドがいくら軍の上下関係に頓着しない人間だといっても、守るべき線引きは確実にあった。

ロイド・アスプルンド。
元特別派遣技術部――通称特派の責任者であり、特派がエリア11に完全に組み込まれた今でも、明確な階級を得る事無く、一線を介している人物だ。
というのも、元々ロイドは第二皇子シュナイゼルの直属の部下であった。エリア11は第三皇子クロヴィスが総督であるから、兄皇子の客分は、どうしても扱いに困って手をこまねいてしまうのである。――そして、だからこそロイドが研究に専念できるのであるが。
スザクはロイドの人となり以前に、そうした背後関係で係わり合いになりたくなかった。ブリタニアの皇族は、あらゆる意味でスザクの鬼門である。スザクの『主』にとっても。
いつか、スザクがルルーシュの隣に立つ時に、彼の存在が本国に知られるような不安要素は作りたくなかった。
いつか。
いつの、日か。

(――いつに、なったら)

スザクは、そんな事は知らない。
本当に「その日」が来るのかすら、スザクには分からない。
スザクに出来るのは、ただひたすらに信じて待ち続けるだけだ。
「その日」を。
「その日」が、来る事を。

スザクの虚しい願いまでをも見透かしているかのようにロイドは嘲う。決してスザクの被害妄想ではない。
だから今ではスザクは心からの嫌悪を以って彼を避けているのだが、何故かロイドはスザクに構いたがって、わざわざ違う部署にまでやって来るのだ。
理由は分からないが、スザクは原因ならば知っている。
『ランスロット』のテストだ。

特派が開発している嚮導兵器であり、世界でたった一つの第7世代のナイトメア・フレーム。
数週間前に、そのパイロット――ロイドは『デヴァイサー』と呼んでいる――を選出する為の適合率のテストが行なわれた。既に書類選考は終わっているらしく、人数は多くはなかった。
スザクも知らぬ間に選ばれた一人であり、問答無用にテストを受けさせられた。上の命令だった。
もっとも、その時の結果は可も無く不可も無い、候補者の中でも中の上といった所であった。
なのだが、何故だかロイドの方はそれが気に入らないらしく、それからというものスザクに再三テストを『本気』で受け直せと迫って来る始末だ。
それだけなら、まだ良かった。なのにロイドは何処で調べたのか、スザクとルルーシュの関係まで引き合いに出してくるのだ。――今の、状況の様に。



「枢木クンはさぁ、そんなに居ない人間に対して尽くしてどーするんだい?」
「何の事でしょう」
(うるさい)
苛立たしくて仕方が無かった。
ロイドのふざけた口調は、いつもスザクを苛立たせる。口調も、内容も。
目の粗いやすりで、鼓膜をざりざりと削られていくような痛みを持った不快感。
不快で、けれどロイドの言う事はスザクの中で沈殿した暗い澱みと同一のものなのだ。
同一で、だからこそ的確。
「捧げる人間の居ない忠誠ほど、虚しいものは無いと思うんだけどねー」
(うるさい、うるさいっ!)
いつでもロイドの言葉はスザクを打ちのめす。
何重にも施した防壁の上から、5年もの間、奥の見ない様にしてきた部分を針で何度も突き刺してくる。
ルルーシュという存在の不在の上を、危ういバランスで生きているスザクには、それはいつも心臓を止める程の痛みと衝撃をもたらすのだと、判っていて。
「僕はねぇ、ランスロットが大切だから、あのコには一番いいパーツを使いたいんだよねー」
「そうですか。」
「キミ、絶対最高のパーツになれるんだけどなぁ…」
「お断りします。自分には過ぎた大役です。」
きっぱりとスザクは切り捨てたが、それで諦めるロイドではない。もう、うんざりするほど何度も繰り返した遣り取りだ。
「まあ、そう言わずにさぁ。もう一回テストするから次は本気でやっろうよ〜」

(――冗談じゃない。)
あのナイトメアにもう一度乗るなんて、スザクには耐えられなかった。
ランスロットに乗った時、そこに在ったのは奇妙な一体感だ。
気持ち悪いほどの。
スザクが今まで必死に押し留めてきた感情を、意思を、記憶を際限無く読み取って、眼前に突き付けてくるような感覚。スザク自身が知らないでいた深層まで勝手に暴き出して、それを世界中に撒き散らそうとしているかのような、いきなり丸裸で世界に投げ込まれたような、感覚。
本能的な、恐怖。
――…そして何より、ランスロットはそれら全ての感情を、『たった一人の人間』に集約しようとしているかのようだった。たった『一人』に。
スザクの、『絶対』に。
〈求めろ〉と。
〈『彼』を求めろ〉と。
〈声高にその意思を叫び、それを認めぬ世界を壊せ〉と。
ランスロットはスザクに訴えていた。
『彼』こそを、ランスロットは求めていた。
『彼』だけを、ランスロットは目指していた。
まるで、スザクの秘匿された望みのように。

テスト中、スザクに出来たのは必死に自分を押さえる事だけだった。
もう一度あんな責め苦を望む程、スザクは被虐趣味ではない。
「あれが自分の本気です。」
「はいっ、嘘! 本気でやってくれたら『ゼロ』サマのコトも教えてあげるからさー…」

何気ないロイドの一言に、心臓が、跳ねた。
『ゼロ』。
その名は、かつての悲嘆だ。

――いないんだ、スザク――

「……ゼロ?」
「あれ、知らない?イレヴンのキミが?」
恩人だよ〜?と笑うロイドに馬鹿にされるのも、もはやスザクにはどうでも良かった。


泣き声が、聞こえた。


変化は、瞬時だった。
「何、ですか。その、『ゼロ』って。」
煩わしい程に心臓が早鐘を打っている。
咽喉が乾いて、言葉が貼り付いたまま上手く出せない。
顔色の変わったスザクを前にして、ロイドが目をぱちり、と開いた。ロイドの「予想外」のスザクの反応に。
「――あれ、もしかしてホントに知らない?!」
オーマイガーと叫ぶロイドのふざけた態度を、今日ほど怒りと焦りに満ちて見ていた事がスザクは無かった。
「ロイドさんっ!」
「ごめんねぇ。教えてあげたいのはヤマヤマなんだけどさーあ、ソレやっちゃうと僕、『彼』だけじゃなく、あの人にも怒られちゃうから。
いやー、てっきり居場所知らないだけか、『彼』に構う僕の事嫌ってるだけかと思ってたんだけど――」
薄いガラス越しの、淡い双眸は酷薄な彩を湛えていて。
「存在自体、知らなかったんだねぇ」



かわいそうに、と、ロイドが嘲った。








2006.12.06