こどもが、独りぼっちで、ないている。
暗闇のなか、ひとりで。



(はやく、いかないと)

「僕は教えてあげれないけどさ、他にも知ってるヒトが居るから、そのヒトに聞いてみなよ」
じゃあね〜、と常の動きが出来ないスザクが引きとめる間も無く、ロイドは去って行った。まともな思考の出来ない今のスザクにも、彼が決してそれ以上の情報を開示しないだろう事は明白で、それを追う事無く、仕方無しに急ぎ噂好きの整備兵に尋ねれば彼はとても驚いた顔をした。 その意味する所に、気付く余裕は、今のスザクには無い。
「ゼロ、ですか?」
「何でも良いんです。知っていることがあったら全部教えて下さい!」

(はやく、はやく)

「…『ゼロ』は、つい最近出た、殆ど誰も知らないような、噂です。あまり、広まる事は無いでしょう。」
急き込んだスザクに、いぶかしむ事無く整備兵は応じて少し早口で言った。
「内容は、エリア11の採決の全てが、ゼロに操られているという様なもので、言わばありふれた都市伝説や怪談の一つにしかならないようなものです。――ただ、」
「ただ?」
「『ゼロ』という噂のもっと前、何年も前に、『クロヴィス殿下はイレヴン、もしくはイレヴン寄りのブレインを手に入れている』という噂が、ありました。今ではもう、誰の口にも上らなくなった、事実関係が無いと証明された、噂です。」
どくり、と。スザクは脳裏で鼓動の跳ねる音を聞いた。

――……君は、信じていないのかい?――

指先から、痺れが広がってゆく。
手の爪先からそれは始まり、掌、腕、四肢、全身へと意識すると同時に侵食していった。或いは逆か、全く違う順序であったかもしれなかったが、衝撃で麻痺した脳髄では、それを正確に理解する事など到底出来なかった。
「…自分は、この噂こそが、『ゼロ』の前身ではないかと、思っています。殿下のブレインが『ゼロ』だとすると、辻褄が合うでしょう?」
あの日、クロヴィスは腹違いの弟を悼んでいた。友人の死を認められずにいたスザクを哀れんでいた。スザクはその目が嫌いだった。ルルーシュの死を受け入れている人間が嫌だった。
それなのに、スザクが5年前から頑なにルルーシュの生死を直接確かめようとせず、探しもしなかったのは恐れていたからに他ならない。 探して、そして其処に『死』という事実しかなかったら?
見つけたのが冷えた躯だけだったら?
スザクの幼い精神はその現実には耐えられなかった。
だから、逃げた。
その死を悼む目から。スザクに信じさせようとする周囲の人間から。
そして勝手な期待を押し付けたのだ。スザクの隣にいないルルーシュに。押し付けて、勝手にまた絶望して。でも諦め切れなくて。何もしていないのに、一人で追い詰められて。

全部、独り善がりだ。

――思い知ればいい。おもいしれば、いい――

ルルーシュが死ぬはずが無いと。
ならば、何故スザクを求めてくれないのかと。
スザクはもう、不用なのかと。
――けれど、そうではなかった?

存在は、示されていた?
スザクが、気付けなかっただけで。
スザクが気付こうとしなかっただけで。

ずっと、まえから。

続いていた男の話を遮って、スザクはひりついた咽から音を発した。声は体と同様に震えている。
「ゼロ、は、」
スザクは、その名前を知っていた。5年も前から。
子供が、泣きながら言った、なまえ。
子供を縛っていた、呪い。
スザクだけが知っていた、『彼』の、もうひとつの名。

(はやく、そばに)

「どんな、姿を、しているかは……」
スザクの問いに、男の目の奥の色が変わった。
大いなる存在に対する絶対的な崇拝と尊敬、畏怖と憧憬、そして、従属。その色を、スザクは見た事がある。――『彼』を、見た人間のする、目だ。

「――ゼロ様は、漆黒の髪に、紫の瞳の、お若い、うつくしい、方です。」

男は、それをこそ、聞かれたかったのだと、満足げに笑った。

――おもいしればいい――



思い知ったのは、誰だ。





その日、どうやって帰ったのかをスザクは覚えていない。
或いは言葉を聞いたと同時、駆け出していたのかもしれない。
ただ、食事も睡眠も、軍務でさえ忘れて、『彼』を探し始めた。必死に。5年分の焦りを込めて。
(皮肉に過ぎる…!)
何だってルルーシュは『存在の無』であるその名を、自らの存在を表すのに使ったのか、スザクには見当も付かない。
(泣いてた癖に…っ)
自分の存在を否定していた子供は、泣いていた。目が乾いていても、スザクにはそれが判っていた。泣いて、否定して、スザクに関わるなと叫んでいた血まみれの子供は、けれど全身で訴えていた。

『いきたい』と。

必死で、スザクを求めてくれていた。

だから、スザクは急がなければ、いけない。
もう随分と待たせてしまった。きっと、心配している。昔、屋根裏部屋で一人待たせてしまった時も、スザクの事を心配していた。
独りぼっちの不安を、抱えていた。
(はやく、早く行かないと)

必ず傍に居ると。一人にはもう絶対にしないと。もう一度誓わなければならない。
スザクは、あの幼い約束を果たさなければ、ならない。
――もしかしたら、本当にルルーシュはスザクを厭うているのかもしれないという不安は、未だスザクの胸に巣食っている。
けれど、それでも良かった。

(別に、構わなかったんだ。)

ようやく、スザクは思い至った。
スザクは、どちらでも良かったのだ。本来ならば。
だってスザクには理由が無い。
たとえルーシュが変わってしまっても、ルルーシュがスザクを厭うても、離れる『理由』は無い。
傍らに在る為の『誓い』は、既に成されている。
あの血にまみれた『誓約』は確かに存在しているのだ。
だから。

(君が嫌がっても、)

死ぬまで、縋りついてでも、離れはしない。








2006.12.08 カウントZERO end