其は万悪の徒と成りて玉座を破壊せし者。
其は万悪の徒と成りて玉座を護りし者。
徒は使にして、徒は仇である。

其は万悪の徒。



不思議な少女だ、と藤堂は目の前でソファーに座る少女を観察した。
明るすぎないライトグリーンの長い髪と、魔物じみた金色の眼を持つ少女の形をした生き物。身を包むのは、つい最近藤堂も着た事のあるブリタニア軍の白い拘束服。おそらくはブリタニアに追われる身であるだろうに、少女がそれから私服に着替えているのを見た事が無かった。…出会ったばかりなのだから、それも致し方ない事なのかも知れないが。
――何より彼女の事を「少女」と呼んで良いのか藤堂には甚だ疑問であった。
彼女は見た目通りの生き物ではない、と戦場で命の遣り取りに明け暮れていた藤堂の武人としての経験と勘が、出会った時からずっと、そう告げている。

目指す方向性に多少の違いはあれど、「日本を取り戻す」という目的の為に黒の騎士団に加わった藤堂達に、ゼロの「いたのか」という言葉と共に紹介された眼前の人物はC.C.と名乗った。
明らかにイニシャルでしかないそれは、口にする度に違和感が付き纏うが、黒の騎士団の幹部ですらその本名や経歴も何一つ知らないと言う。ほんの時折出没し、ゼロの傍らに付き従う白い姿は黒衣ひしめく騎士団において酷く目立ち、そして異質だった。

異様な、それでいて何処か――ゼロと似た雰囲気を有する「少女」。

(ゼロはそれに気付いているのか?)
この少女の特異性を。ゼロに限って、それは杞憂かもしれない。気付いていて側に置くなら問題は無いが、もしそうでないなら忠告しておかねばなるまい、と藤堂は心に決めた。
「C.C.、それはどういう事なんだ!!」
(――もっとも、それは些か後の話しになるだろうが)
C.C.は藤堂の視線も扇の上擦った声にも頓着せずに、同じ言を繰り返した。『爆弾発言』と名称の付く言葉だ。
「だからあの男はしばらく来れない。その間はお前達で何とかしろ」
「な、」
他人の事など知った事かと言わんばかりの高飛車に感じられる態度は、人の神経を逆撫でするものであるにも拘わらず、C.C.はそれを改めようとはしない――もっとも、今この場にいる藤堂と扇の2人はそれにいちいち反応するような性格をそれぞれしてはいなかったが。


呼ばれ、初めて踏み入ったアジトのゼロの私室は他の部屋と大差ない造りをしていた。
「私室」と言うには私物は少なく、ゼロはアジトで生活をしていない事が窺い知れる。本棚にはファイリングされたバインダー類がズラリと並び、テーブルの上にチェスの一式のみ。C.C.の座るソファーの上のファンシーな黄色い人形だけが異色を放っている。
参入したばかりの藤堂は仕方ないにしても、幹部達のリーダー格である扇でさえも入室は初めてだったらしく、きょろきょろと室内を見渡していた。
徹底した秘密主義はあまり良い感慨を受けない。ブリタニア人である事は内々にキョウトから聞き及んでいたが、団内においてさえ、名も、性別も、顔も私生活も何もかも知られていないとなると、次の日ゼロの仮面を被った人間が別人でも分からないのではないだろうか。
不穏な心配を秘めながらも藤堂は部屋の主の代わりに存在している少女を見据えた。
「お前達にだけ伝えろとの事だ」と前置きして告げられた無いようは2つ。

ブリタニア第二皇子シュナイゼル来日の報と――ゼロの、不在。

「何故来られないか聞いても?」
「それは言えない。あの男の私事だ」
「私事よりこちらの事情を優先すべきでは?」
「優先した結果だ。何がどう変わっても覆らない。」
「C.C.!!」
藤堂とC.C.の淡々とした遣り取りに業を煮やしたか、扇が焦って声を荒げた。
「C.C.、もう少しきちんと説明してくれ! 何でゼロが来られない? ゼロの来られない私事ってなんだ?!」
「言えないから私事と言うのではないのか? あの男にもあの男なりに個人の事情がある」
それもかなり複雑な。
表情は変わらないのに、その言葉の端に忌々しげな響きを敏感に感じとって、これがゼロとC.C.の望んだ状況ではない事を藤堂は察した。
「…どうにもならない事なのか」
「ならんな。あの男の帰りを待つか、あの男の存在を喪うか。二者択一だ」
静かに付きつけられた選択肢に、扇が言葉を失ったのを横目で見つつ、藤堂は話を進めてゆく。納得した訳では無いが、どうにもならない事を話し続けるのは時間の無駄だった。
「期間はどのくらいだ?」
「藤堂さん!」
「最短で1週間。長ければ1ヶ月はかかる」
「その間の活動計画は?」
「取り敢えず何が起きても静観したまま待機していろ。よほどの事で無ければ動くな、と。そこの判断基準はお前に任せる」
もし、その間にゼロの姿がどうしても必要になった場合、私が依り身を努める、と事も無げにC.C.は宣言した。おそらく以前もゼロの代わりを任された事があるのだろう、少しも不安に感じていないようだった。
「…『ゼロ」とは、」
「『ゼロ』は一人だ。私はただの代役。ピンチヒッター。
安心しろ。あの男は保身の為だけに身代わりをたてて逃げるような無様はしない。」
「……そうか」
あの男はあれで中々誠実だ、と眼下から揶揄されて、読んでいたか、と藤堂が息をつく。

「作戦の指揮はどうするんだ?!」
問題無く進んで行く目の前の会話に扇が悲痛な声を発した。神経が細やかという訳では無いのだろうが、良くも悪くも「普通」の精神を持つ男には、この特殊な少女や己のような無骨な人間の相手は手に余るだろう、と責任の一端――もしくは半分を負いながらも藤堂は扇に同情した。
「お前に一任すると言っていた」
藤堂を目線で指してC.C.はチェスの駒を弄りだす。一目で高価と判る、けれど何年も使い込まれた感のあるチェスセットの黒い駒。とりわけ大きな2つの黒駒のうち角張った形からして、おそらくは――キング。
「まったく良い時期に適材が手に入ったとあの男も喜んでいたぞ?」
何某かの情の篭もったような優しい手付きで、C.C.は黒き王を撫でる。この場にいる三者がその駒で連想するのは同じ人物だ。
「…私はゼロに協力するとは言ったが、それはこういう意味ではなかったんだがな」
指導者の代わりに指揮を執るのではなく、指導者の下で戦う事を望んだ筈であったのに。
「一度結んだ契約を反語にするか? あの男は仕える人間は好きに使う男だ。今更何を言おうが遅いさ」
まぁ、結局お前も逆らう気は無いのだろう?と断言されて、藤堂は渋い顔を崩さなかった。

――神聖ブリタニア帝国の、時期皇帝候補最有力者であり、それに見合うだけの武力と政治力を有する第二皇子シュナイゼルの非公式での来邦。
張り巡らせている黒の騎士団とキョウトの情報網に掠りもしなかった秘中の秘である情報をゼロがどうやって手に入れたのかは疑問だが、黒の騎士団として、ブリタニアに牙剥く者として、本来この機会は絶好のチャンスだった。大々的に訪問するのであれば警備の数は莫大に増えるだろうが、忍んでのものなら大掛かりに軍を動かす事は出来ない。つまりは暗殺を実行するには、またと無い絶好の好機である。――にも拘わらず、ゼロは「動くな」と言った。
『私事』で動くのを善しとしないのか、或いはゼロ自身が『私事』で動けないのか。静観するという行動に変わりは無いが、『私事』とやらが何処に罹るのか――それによって意味合いが大きく変わってくるのを藤堂は察知している。

ゼロの『事情』が、シュナイゼルの動きにこそ、関わっているという可能性。

「――戻って、来られるのだな」
低く、慎重に念を押す藤堂にC.C.は駒を弄る手を止めた。手元に注いでいた視線を上げて、滅多に感情を乗せないだろう金の眼に不穏な色を添える。
「…どういう意味だ?」
「必ず戻って来られるのだな?ゼロは。
しばらく身動きが取れないというのは、先程のシュナイゼルが日本を訪れる事とは無関係なのだと考えて良いのか」
「えぇ?」
問い質す内容に、扇が考えもしなかったと驚愕して藤堂を見詰め、C.C.は予定外だが予想範囲内だと云わんばかりの溜息を吐き出した。
「お前は――……、あぁ、そうか。そういえばお前はあれと会った事があると言っていたな」
全く厄介な事を私に押し付けていったものだ。この貸しはゴージャスフォー4枚分に匹敵するぞ、とブツブツ口の中で呟かれた不平は殆ど途中からは聞き取れず、眉を寄せる藤堂の横で扇が首を傾げた。
「お前の心配は中々的を得ているが、杞憂だ。
安心しろ。あの男はここに『帰って』来るさ。何があっても」
ひとしきり何事かを呟いた後、C.C.は立ち上がり真っ直ぐ藤堂に挑むような視線を合わせて言い放った。
「あの男にはもうここしか戻る場所が無いのだからな」
声に、寂寥が滲んでいたのは果たして藤堂の勘違いなのか。
「…そうか、判った。」
けれどそれを詮索するような無粋な真似はせずに「それでは」とあっさり引き下がり、踵を返して退室しようとする、味方だと思っていた男の思わぬ裏切りに扇がまたも悲愴な声を出した。
図らずしも、藤堂の足を止めるだけの威力を持つ言葉を。

「枢木スザクはどうするんだ!」

その言葉に、さっとC.C.の面白がるようながすべて瞬時に消え失せ、酷く無機質な表情を浮かべた事に扇は気が付かなかった。藤堂は既に背を向けている。
「あの白兜のパイロットなだけならまだしも、ブリタニアの皇女の騎士になったなんて事無視していていいのか?!
黒の騎士団の中からも抹殺すべきだっていう意見が出てる。……あの白兜には今まで散々邪魔されてきたから、俺じゃあ抑えられない」
けれど、それだけは避けたいのだと扇は必死だ。
扇とて、枢木スザクの存在が日本人にとってどんな影響を及ぼすのか判っている。
ブリタニアに従う者の象徴として扱われるだろう日本国最後の首相の忘れ形見に、一般人の戦意低下は必至。だからこそ殺してしまうのが最善――最良でなくとも――の手なのは確かだ。…けれど、その場合、「誰」がその役目を負うのか。
おそらくは枢木スザクが油断した状態のまま近付ける人間。表向き学友の、カレン――扇の妹のような少女に白羽の矢が当たるのは目に見えている。騎士になれば学園に顔を出さなくなる可能性もあったが、今日の授業には出席しているとの情報も受けている。おそらく頻度は確実に減るだろうが、これからも学生と騎士の二束草鞋を続けていくのだろう。それなら、カレン以上の適任者はいない。
どうしても、それだけは避けたい、と扇は思う。
見知った――もしかしたら友情を感じている相手でさえゼロに命じられればカレンは戸惑いながらも遣り遂げようとするだろう。
けれど、傷は残る。
心に、深い傷が、確実に。
扇自身としては彼女の兄であるナオトと同じく、本来カレンがテロ活動に身を投じる事でさえ反対だったのだ。出来る限り手を汚して欲しくないというのは当たり前の兄心だった。
「…甘いな」
ゆっくりと、溜息と共にC.C.が言葉を発した。
「枢木スザクを殺して欲しくないか。自分の大切な人間の為に。
だが枢木スザクと殺し合う羽目になったのはお互いの望みの結果だ。それとも知っていたら止めたか?
己の望む世界の為に戦う事を。」
「それは、」
「そんな事が出来るわけが無い。不可能だ。あの意思は変わらない」
扇の思考を透かしたC.C.の言葉に、背を向けたまま藤堂はまるでその言葉がカレンではなく、別の誰かへ向けられているように感じた。
敵となる事を決めた、藤堂にとってはかつての同門の少年を殺す事を躊躇っている「誰」か。

「――だが………心配しなくていい」
覚悟を突き付けるような口調が一変した事に、藤堂は振り返った。

そして眼を剥く。

「あの男がカレンを使って枢木スザクを殺す事はしない。……きっと、殺せない」
まるで年老いた母が、いまだ幼い子に世の理を教えるように、優しげに。それでいて、悲しみを湛えて、藤堂や扇よりよほど年下の少女が、生きるに飽いた老女の顔で儚く笑った。



「殺す事など、出来はしないさ。」



「誰が」、とは。

決して言わなかった。








2007.02.20 万悪の徒