危うい均衡の上に、積み重ねられていったブリキの積み木。
僅かな衝撃で崩れてしまうのだから、誰もそれに手を触れなかった。
積み木は高く美しく積まれ、まるで頑丈な城のような外観を持ち。あまりにその城が立派だったものだから、新しく住まう事を赦された騎士は、頑強な城壁があると勘違いしてしまった。

ブリキの積み木は崩れ落ち、均衡は破られた。
かみさまはその中に大切な大切な宝石を隠していたから、誰かに見付かる前に取り戻す事を決めた。

――後に残ったのはひとりの騎士とブリキの積み木。

お城はもう2度と戻らない。






いつもの西日がクラブハウスの廊下を照らしていた。
僅かに色を持って、昼時の可視しにくい黄色光よりも赤みを含んでいる。足を進めていくたびにその彩りは深みを増して行くけれど、血のような夕日には程遠い。
むしろスザクの感性では、あんなにも美しい光と大気の変幻を血に例えるのは許される事ではなかった。
放課後の校庭は部活動にいそしむ生徒に埋め尽くされて、その喧騒がクラブハウスまで僅かに届いてくる。けれど、つい先ほど乗馬クラブの一人が窓の側――散策コースに入っているのかもしれない――を通ったきり、それ以外には予算申請期間や学校行事間近でもないクラブハウスには、人は寄って来ない。
おまけに、スザクとその横を歩くリヴァルは生徒会メンバーでさえ滅多に立ち入らない、ランペルージ兄妹の居住スペースに足を運んでいるのだから、それは静寂に向かって歩いているようなものだった。

重役出勤で登校してからこちら、ずっと台風のさなかに居るような騒ぎに包まれていたスザクは、「ルルーシュ・ランペルージのエリア」の効果に、ようやく安堵の溜息をついた。
「どったの、疲れちゃった? ナイト様」
耳聡くそれを聞きつけた――というよりスザクに隠す気も無かったし、隠せる距離でもなかった――リヴァルが覗き込むように揶揄する。
「リヴァルー…誰の所為だと」
「え、俺の所為?! ダメだろスザク。人様の所為にしちゃ」
「騒ぎを煽ったのはリヴァルじゃないか」
疲れ切ったように、非難を言葉に乗せても、リヴァルは「もっちろん!」と悪びれない。
「イヤだってさ、普通自分のダチが騎士になったら騒がないか?騒ぐだろ?!騒がなかったらウソだろ!
しかもおまけに相手は超かわいらしい皇女様!!」
「だからって限度ってものが…」
途中からだから出席をとってもらえなくても、せめて授業は受けようと思って教室に入った途端、リヴァルの出迎えは強烈だった。

『ようこそ白の騎士!!』

授業中であるにも拘わらず、スタンディング・オペレーション。
リヴァルにつられてニーナや他の皆までもが立ち上がったものだから、収拾がつかずに講義はおじゃんだ。流石に授業中はその時だけだったが、合間合間の休み時間は似たような騒ぎばかりで、始業が軽く10分は遅れていた。
「いやいや、あーいうのは最初が肝心だからさぁ。馬鹿な奴等がまーた馬鹿なコト言い出す前に先手打っちゃうのよ」
「リヴァル……」
好奇の視線は強かった。
その中に賞賛や好意を持つ者もいたけれど、一番鋭く放たれたのは嫉妬と侮蔑だ。「イレヴン風情が」とスザクを攻撃しようとする意思。行動を起こす前に、リヴァルの始めた騒ぎに呑まれてしまったが。
――第一手を封じただけで、スザクに対するイヤガラセを止めるとは思えないが、少なくとも出鼻を挫かれたのは確かだ。
「……ありがとう」
「いーの、いーの。あのセンセー出席番号順に当ててくから次の次に当たるの俺だったし」
「…感動が台無しだよリヴァル」
にしし、と笑う姿は物語を飛び出してきたチェシャ猫か悪戯小僧か。

「まぁー、でも実際の所どーよ。イキナリお姫様の騎士に指名されちゃって」
「いきなりってよく判ったね」
「前々から親しくしてたんなら、ザ・お節介枢木スザク准尉はニーナに何かやってあげている筈だ、とカルデモント君は考えるのであります。」
「そっか……って、え、何で僕の階級、」
困惑したスザクにヒラヒラと右手に持っていた雑誌を振る。薄いそれは、けれど振る度にバッサバッサと音をたてた。意味するところは明らかだ。
「……6限目居ないと思ったら」
「情報収集は基本なんデス。」
「何の……しかもそんなゴシップ誌」
おそらくは先日の黒の騎士団との戦闘の際に撮られた写真が大きく表紙を飾っているのに、スザクは眉を顰めた。軍の広報はまだ動いていない筈なのに。
「嘘も多いけど、結構詳しく載ってたりもするんだぜー?こういう雑誌。ほら、生徒会の人間として学園の平和は守らなきゃいけないしー」
「サボりは良くないよ」
「そのセリフは2日連続ザボリキングなルルーシュ・ランペルージ君に是非とも言ってやって下さい。」
「具合が悪いんじゃ、」
「いんや。何度も共にサボリ続けたこの一番の悪友、リヴァル・カルデモントには判る!奴はサボタージュを決め込んでおる!
ちなみに一番の親友はチミだから。俺に嫉妬の矛先向けないでねプリーズ」
「嫉妬って、」
「しなかった?」
「………」
沈黙で答えを濁したスザクにリヴァルが「正直だなぁ」と笑う。
「まぁ、相思相愛はけっこうなんだけど。で、話戻すけどさ、本当に大丈夫なのか?皇女様のお相手。」
訪ねるリヴァルの口調は好奇心と興味本位でも、その暗褐色には純粋に『名誉』であるスザクへの心配が透けて見えたので、スザクは既に今日何度も繰り返した言葉を本心から伝えた。
「良い方だよ。優しくて、ご自分の理想をしっかり持っていらっしゃる。」
――戸惑いは大きい。あまりに唐突だった。自分のような人間が、あの綺麗な皇女殿下の騎士に相応しいとはスザクには到底思えないが、それでも命令は絶対だ。
「んー、確かに見るからに優しそうなお姫様だよなぁー」
「ナンバーズに対しても平等に扱って下さる方だから。」
じゃあ本当に逆玉じゃんかー、と羨ましがるリヴァルが、スザクの言葉に安心してくれているから、「ユーフェミア殿下以外は違うけど」という言葉を飲み込んだ。

(あの気難しいルルーシュが仲良くするのも判るなぁ)
内心スザクは嬉しくなった。「良いヤツ」なのだ。リヴァルは。
「リヴァル」
「んー?」
「心配してくれてありがとう」
心からの感謝を伝えれば、何だか微妙な顔をされた。照れているのかもしれない。

(やっぱり来て良かった)
本当は、今日は登校するつもりは無かったのだ。けれど「これからは行けるかどうかも判らないから」と姉のように親身になってくれる上官から言われ、ルルーシュと話がしたい一心で登校したものの、肝心のルルーシュは欠席しているし周りは騒ぎ立てるしで、だから実はスザクは暗鬱な気分を溜め込んでいたのだけれど。
けれど、やっぱり来て良かったなぁ、とスザクは思った。

(この学園に来て良かった。)

ルルーシュに逢えた。
ナナリーに逢えた。
ルルーシュのおかげで生徒会に入れて、こうしてスザクの事を心配してくれる友達が出来た。
(だから、護ろう)
必ず。この場所を。ここに通う友人達を。その切っ掛けと機会を与えて下さった心優しい皇女殿下を。――この平穏を壊そうとする仮面の男から。
スザクが大切な人達の事を考える度、一人の男への憎しみが膨れ上がって凝縮されていくのを感じた。
(あいつ、ゼロ。必ず殺さなければ。)
もう2度とシャーリーの時のように、悲しみをこの学園に持ち込ませはしない。
この優しい人達の平穏を壊させはしない。スザクは堅く心に誓った。必ず、スザクが護るのだ。

――命を、かけて。

「でもさぁ、」
思考の海を泳いでいたスザクを、リヴァルの思案したような声が現実に連れ戻した。不意を突かれたように身体が強張ったが、幸いリヴァルは気付かなかった。横に伸びた影が長い。
リヴァルは歩きながら雑誌を開いてスザクとユーフェミアの写真を並べて載せているページを見ている。本人としては止めて欲しくて仕方ない。
「なんか、なぁ……」
「リヴァル?」
ジグゾーパズルのピースを嵌め間違えて、けれどそれ以外当て嵌まる物が無いのに、といった風な「よくわからない」表情で、リヴァルは写真を眺めている。
「ヘンな意味じゃないんだけどさぁ、」
いつになく歯切れ悪くリヴァルは言い淀む。何を言いたいのかリヴァル自身判っていないように。
けれど、その発した言葉はスザクの意識を奪い取った。



「スザクが選ぶのはもっと別の人間だと思ってた」



何言ってんだろなぁーと苦笑するリヴァルは今のスザクの顔を知らない。どれ程、醜く歪んだ貌をしているのか。

だって、それは。もはや望むべくもない、かつての――。

「リヴァル、それ、は」
「なに、どったのスザク――って、あぁっ!かいちょっ!!」
「……スザク、?」
目敏く、スザク達の向かう先から歩いて来たミレイを見付けたリヴァルの大声で、スザクの思考がまた中断される。
寧ろそれにホッとしながら、スザクはいつのまにか落ちていた視線を上げた。
「―――…で、………タが…」
「会長?」
遠目からミレイの表情は判らない。それでもスザクが顔を上げた瞬間に、信じられないものを見るようにぎこちなく強張った表情をスザクは見逃さなかった。

(………何だ?)

ミレイに心を寄せるリヴァルも当然それに気付いて、けれど敢えてそれを無視してミレイへと駆け寄る。
「会長ー!会長もルルーシュのお見舞いですかー?アイツ具合どうでした?」
白々しく笑って見せればミレイは先程の違和感など何も無かったかのように「いつも通り」に、悪戯気に笑んだ。
「なぁに、2人とも。ルルちゃんのお見舞い?」
「そうなんスよー。大親友として心配でー」
「とか言ってサボリだと思ってたでしょー」
「バレました?」
「バレてました。」
「……ルルーシュ、大丈夫なんですか?」
ポンポン飛び出す2人の会話にスザクがルルーシュの心配をして口を挟めば、ミレイはちらりとスザクを見て笑った。
「えぇ、ピンピンしてるわ」
――少しも笑っていない、淡くも深い色合いの空色の眼を細めて。
「…会長?」
「ルルーシュやっぱりサボリだったんじゃないですかー」
「んー、そうとも言えないわね。ナナリーがちょっと体調崩しちゃったみたいだから着いててあげてるの。咲世子はちょっと遠くまでお使いに行ってるから」
「あらら。それじゃあルルーシュ君は休むしかありませんな」
「ナナリー命だからねぇ、あの子。…って、リヴァル、アンタ何その雑誌」
ミレイとリヴァルだけの会話には「いつも通り」の闊達で明るい生徒会長のミレイがいて、スザクは先程の表情がスザクにだけ向けられたものであると知った。目の前でスザクを置いてけぼりにした2人の会話は、だからリヴァルからの気遣いだ。――おそらくは、それに応じるミレイからも。

「まーたサボって学校抜け出して来たのぉ? 悪いコね。…………門の様子はどうだった?」
からかう口調を引っ込めて、ミレイが真摯に訪ねる。答えるリヴァルは相変わらずの砕けた口調だが、目は真面目だった。
「正門も裏も報道関係者がわんさか。取り敢えず校長先生に追い払ってもらってマス」
「アラ素敵な人身御供。適材ね」
「人を見る目があるぅっ」と誉められて、リヴァルがナハハと頭を掻いた。
「こういう時しか目立てないって張り切ってましたんで。んで、自宅から通ってるカヨワイ生徒の皆さんには秘密の抜け道を開放させて頂きました」
「おぉ!気が利くぅー!!ヤルわねリヴァル!褒美を取らす、申してみよ!」
「ありがたき幸せです!ボス!!」
ははーっ、と平伏する真似をするリヴァルと芝居掛かった口調で話すミレイ達2人を、スザクはなかば呆然と見ていた。
「――会長」
「えーと、それなら、あのープライベートで悪いんですケド…オミアイの詳細などを――…」
「むむ、そこを突くか。よかろう。教えて――」
「ミレイ会長!」
一際大きなスザクの声が、一気に人気の無い廊下に響く。ふざけたように会話を続けていた2人が口を閉ざしてスザクを見詰めて、自分で作った静寂が耳に痛かった。
「…それは、何ですか」
リヴァルが困った風に笑って、ミレイはスザクを哀れんだような目で見る。
「…僕の、所為なんですか。僕が来たから――」
「スザク、そのー、仕方ないよな!あれだ!有名税みたいなモン…」

「いいえ。」

きっぱりと、ミレイがスザクの言葉を切り捨てた。
「アッシュフォード学園は元々学校関係者の間では有名だったの。それが前のホテルジャックの事件で別の方面にも名前が売れちゃって余計に騒ぎが大きくなっただけよ。それだけ。あなたは悪くないわ」
うって変わった厳しい口調は、内容とは裏腹にスザクを責め立てる強さを持っている。スザクが、気後れするほどに。
重たくなった空気を払拭しようとして、リヴァルが明るく、けれどやはり気まずげな声を出した。
「…えーと、会長。あと、コレ……」
「リヴァル?」
今まで持っていた雑誌を、見易いように開いて渡す。内容はスザクには見えないが、ミレイが目を見開いたのに眉を顰めた。あまり良い内容とは思えない。
「……そう、これが。すごいのね、こんなに早く学園の写真も手に入れられるなんて。
ありがとリヴァル。」
「やっぱりヤバ気?」
「…そうでもないけどね」
ミレイは笑い飛ばそうとして無理矢理に笑顔を作ったものの、声が戦慄いていた。スザクにはその理由が理解できない。ミレイがさせようとしていない。
「でも、教えてくれてアリガト。…この本、貰っても?」
「全然オッケーですよ。俺自分が全国紙に載ってたもんだから、はしゃいで2冊買っちゃいましたし!」
あはは、とリヴァルが乾いた笑いを浮かべた。それに反応してやる余裕がスザクにもミレイにも無い。

「………奪う事で護ろうとしているのね」

「ミレイ会長?」
雑誌に目線を落としたまま、ミレイが呟く。
「ううん。コッチの話。
――リヴァル、悪いけどシャーリーに『しばらく生徒会に出なくて良い』って伝えておいてくれる?」
「なん――って、あぁ、はい。わっかりました。大会近いみたいな事ぼやいてたんで、ダイジョブだと思います」
「アリガト」
んじゃ、と言って、ぽんとスザクの肩を叩いてから逃げるように引き返すリヴァルの後姿を、スザクは訳も判らず見送った。伸びていた影は別の影に同化して消えて、もう長いのか短いのか判らない。

「シャーリーはね」

向けたばかりの背の、ミレイが立っている場所からスザクに声が掛けられた。
ミレイしかいないのに、まるで別人のように感じたのは、その声があまりに弱かったからだ。

「ホテルジャックの時、ゼロやあなたに助けられて、ゼロにお父さんを殺されたわ」
「…はい」
「その上、ユーフェミア皇女殿下の騎士様と同じクラスで同じクラブ。話題性は十分だから、こんな類の雑誌に見付かったら好き勝手書かれちゃうの。だからリヴァルにはああ言ったワケ。……ここまでは判った?」
静かな抑揚の無い声に言葉が返せず、スザクはただ頷いた。
「…あなたが悪くないって言ったのは本当よ。
あなたに責任は無い。時期が重なっちゃっただけ。――でも、私は本当はあなたを、ブリタニア軍人を生徒会に入れるつもりは無かったわ。あの子の側に置くのは反対だった。あの時、逡巡したの判ったかしら。

でも――あの子が、ルルーシュが頼むから、了承したの。」

小さな声と、ページをめくる紙の擦れる音だけが、スザクの鼓膜に響いた。他の、届いている筈の喧騒は何一つスザクの耳には通らない。
「ルルーシュはあなたと逢って楽しそうだった。嬉しそうで、私が今までに見た事も無い表情もする、よ、ぅ――……」
「会長?」
ぴたり、と。すべての音が止んだ。
殺しきれなかった息を呑むような音だけが一度背中越しに聞こえてそれきり。
スザクは振り向く事が出来ない。

ただ時間だけが流れて、まるで永劫のような時間の後、ややあってミレイが再びゆっくりと口を開いた。
スザクが予想だにしなかった、問い。
「ねぇ、スザク。あなたゼロに仲間に誘われた事とかはある?」
「え、」
「ただの興味本位。ね、答えて」
先程までの弱さが嘘のように、ミレイが厳しく詰問した。興味本位とは、真逆の真剣さを携えて。
「…ありました。一度、ゼロに助けられた時に。でも、勿論断りました」
「――どうして?」
「彼は、間違っています。あんな風に手に入れた結果に、何の意味も無い!」
思い出しただけで怒りが込み上げてくる。そうだ。そうやって、ゼロは無意味に人を殺していった。

「…だから、手を離したの」

「――? いま、何て」
ゼロの事を考えていて、聞き取るには小さ過ぎたミレイの声を、スザクは逃してしまった。けれど聞き返すのを許さず、ミレイはスザクへの言葉を続ける。
「今日ルルーシュに会うのは止めた方が良いわ。」
夕暮れが、深くなってゆく。
この光景に、見覚えがあってスザクは即視感に酔った。目の前が赤く歪む。
「ルルーシュに逢わない方が良いわ。
あの子、今ちょっと機嫌悪かったから、話があるなら、また明日。ね」

ぐしゃり、と紙の束が握り潰される音がスザクの耳を打った。
その音に漸くスザクは背後を、ミレイを振り向く。
「あと、リヴァルに伝えておいてくれる? お見合いは無くなったわ。代わりに今までの『功績』を認められて、暫定的に爵位を頂けたの。」

俯いた表情は華やかな金色であった筈の髪に隠されいる。
その金色は、怒りに赫く染まっていた。








2007.02.22 醜悪なる賢者