私はさながら救世主のごとき感謝を受けた。
そして望み通りの道へと、進む事を許された。「この才能を、研かなければならない」と言われて。――本来ならば、ルルーシュにこそ、言われるべき言葉を。
『ルルーシュっ』
『姉上?』
会議が終わり、私の進むべき未来も決まった後、ルルーシュを呼び止めた。呼び止めたはいいが、何を言えば良いのか分からなかった。感謝か、疑惑か、驚嘆か、手の届かぬ才能に対する嫉妬か。
『…姉上、お願いがあるのですが』
言葉に詰まった私に、ルルーシュが助け舟を出した。何も気付いていないかのように。
おそらくは、初めから「この展開」こそを、作り出したかったのだろう。今ならば判る。
『な、何だ?』
『姉上の母君に、その……』
言い辛そうに俯く。母の名が出てきて、すぐに私もルルーシュが何を望んでいたのかを悟った。
母はルルーシュを敵視していた。ルルーシュとその家族を。
王宮内で殆どの者がルルーシュ達母子を軽んじ、蔑んでいたが、その中でも母は特別だった。ユーフェミアの1年前に誕生した皇子。母妃は庶民の出。王位継承権こそユーフェミアよりも低いが、そんな事は何の慰めにもならなかったに違いない。母は執拗なまでにマリアンヌを責め立てていたし、殺そうとまでしていた事に、私は幼くとも気付いていた。
ルルーシュの望みに思い至って、私は強く頷き返した。己の母親を殺そうとしている女の子供に、手を貸したルルーシュに、応えてやらねばならないと強く思った。身の内に、自分の望みが叶った事に対する喜びと、興奮があったからだ。
『有難うございます』
頷いた私を見て、ルルーシュがほっとした様に笑って、頭を下げた。
少しも目が笑っていなかった事に、当時の私は気付かなかった。ルルーシュは、その大きな紫電の双眸で、じっと私を観察していた。私の、約束の重みを。
『…特に、自分の利益だけしか考えない連中は、どんなに複雑に見えても、とても読み易い。』

それは、口約束にしか過ぎなかった。




――結局のところ、私はルルーシュの願いを無視した。忘れたのだ。
軍人としての本格的な教育は、嘘でも楽なものではなかったし、ルルーシュと一歳違いの妹の世話の方が大切で、忙しかった。私自身、母の傍には出来るだけ近付きたくなかった。

そうして、マリアンヌは死んだ。

『王宮内』で『テロリスト』の手によって殺され、妹のナナリーも目が見えず、立つ事さえ出来なくなった。
その知らせを聞いた瞬間、頭を駆け巡ったのは「私のせいじゃない」という思い。――事実、私が何をしたところで母や、貴族達を止める事など出来はしなかっただろう。こういった事は王宮内ではある種、日常茶飯事だ。
そう、言い訳をした。

(お前のせいだ――)

僅かに聞こえた声には気付かない振りをした。


ルルーシュとナナリーはすぐに日本に渡る事となった。王宮を出る事が、本人達の意思だった。
本当は皇位継承権ごと棄てたがったらしいが、父はそれを許さなかった。ルルーシュの優秀さを一番理解していたのは、他でもない父だ。

『決して、赦す事などないでしょう。』

東方の島国へ発つ幼い皇子と皇女にパーティーが催された。マリアンヌの喪が明けた次の日だ。
誰もが母親が殺され、利用価値の殆ど無くなった皇子を、侮蔑と好奇の視線で見ていた。中には同情や憐憫の眼差しを送る者も、ごく僅かにいたが。
ナナリーは主賓であるにもかかわらず、怪我を理由に欠席していた。おそらく、こういった視線に晒させない為にルルーシュが休ませたのだろう事は、想像に難くない。

『絶対の、確信を以って。』

パーティーの最後、ルルーシュが主賓の挨拶で、父と同じ、冷たい紫電の瞳で、高らかに宣言した。
賑やかだった会場の空気が凍りついたのを覚えている。
ルルーシュは真っ黒な、飾り気の無い皇族服を着ていた。真っ白な肌にとても良く似合っていたので、誰もその時まで気が付かなかったが、あれは母親への喪服だったのだ。
会場には同じ様に黒いスーツで参加していた者達も居た。幼い皇子に対する侮蔑も同情も、その内の幾人かの目には無かった。ただ目の奥で、怒りが渦巻いていた。――ルルーシュやマリアンヌを、心から支持していた者達だ。

『我が母と妹の受けた凶行を。痛みを。死を。この憎しみを以って、忘れる事も、許す事も無いでしょう。決して。』

9歳の子供には不釣合いなほどの声で、高らかに。グラスを掲げて。

『犯人には恐怖と恥辱、そして苦痛のうちの死を』

ルルーシュがグラスから手を離す。甲高いガラスの割れる音が、まるで悲鳴の様で、飛び散った赤ワインが血の様に見えたのを覚えている。
ルルーシュは、その上を躊躇いもせずに踏みつけて出て行った。
冷えた雰囲気の中、大人達はルルーシュの言葉を笑い飛ばそうとして、けれど血の気の引いた青い歪んだ表情が出来ただけだった。誰もが呑まれていた。……特に、『ある一部』の者達は。
一瞬だけ、退出するルルーシュと目が合った。

背を一滴、冷や汗が落ちた。

それが、私がルルーシュを見た最後だ。




ルルーシュが日本へ発った後、ある一人の大貴族が死んだ。
首を吊って死亡していて、足元には汚職の証拠。自責の念に堪え切れなくなっての自殺と処理されたが、私は信じなかった。
…男は、ある『テロリスト』のグループへ武器の横流しの仲介役をしていた。
また一人、事故で、或いは恨みを持った人間に。周りは気にも止めない頻度で、一人、また一人と死んでいった。
いずれも、王宮に出入りする高官や軍人、皇族の後ろ盾。――母と共に、マリアンヌを強固に排斥したがっていた連中だ。
(ルルーシュだ。)
ルルーシュは日本に居る。『彼ら』の死因も、第三者の関わりが在るようなものではない。けれど私には分かった。
『彼ら』にも分かったのだろう。あの幼い黒い皇子が母親を殺した『彼ら』を、言葉通り始末しているのだと。
当初、『彼ら』はルルーシュを擁護している人間がやっている事だと考えた。なのに調べれば調べるほど、何があっても不可能である事が判っただけだった。それはルルーシュにしても言えた事だが、『彼ら』にはあの夜のルルーシュの声が、言葉が、眼差しが、その姿が脳裏に焼き付いていた。
『彼ら』は恐怖した。次は自分かもしれない。明日には目の前にルルーシュが立ち、死の矛先を向けてくるのかもしれない。
結果、短絡的な思考で、『彼ら』はルルーシュを殺す事にした。
もともと、マリアンヌ共々死ねば良いと考えていたのだから、戸惑いなど在りはしない。
流石に日本で『枢木』の庇護下にあるルルーシュに手を出す事は出来なかったから、本国に呼び戻して。
ルルーシュが、戻って、くる――それは私にとっての死刑宣告だった。
頭の良いルルーシュの事だ。一人一人殺していったなら、『彼ら』がどんな行動に出るかなんて、簡単に予想できただろう。だからこそ。――だからこそ、これはルルーシュの計画通りなのではないか? 自ら戻るのではなく、『彼ら』自身によって死神を呼び戻させたのではないのか?
恐怖に駆られた『彼ら』にはそんな事も思い付かない。そこまで、追い詰められていた。


――私の予想に反して、あっさりと、ルルーシュは死んだ。妹と共に、本国の空港から車で王宮へ向かう途中の『事故』で。
日本との同盟が締結した直後の事だった。
『彼ら』は安堵した事だろう。小さな復讐者に打ち勝ったと喜んだ事だろう。
けれど。それでも。

ルルーシュの復讐は止まらなかった。

簡単な事だ。ルルーシュは日本に居ながらにして、裁きを行っていた。それがあの世に変わっただけの事なのだ。
あの子供は日本へ発つ前に、総ての仕掛けを終えていた。『彼ら』全員分。
時と場所と人、3つの要素が重なり合えば、自動的に実行される様に。

母が殺されて、漸く私もそのからくりに気付いた。
防ぐ術など、あろう筈もなかった。
一体、どうすれば、既に死んだ存在からの恐怖を防げる?
『動けないなら、相手を動かせば良い。そちらの方が、ずっと簡単なんですよ姉上。』
母は、側近の男に殺された。
5年前の事だ。母も男も、どちらも殆ど狂っていた。
私は悲しみを感じなかった。
『…特に、自分の利益だけしか考えない連中は、どんなに複雑に見えても、とても読み易い。』
母を殺した翌日。男は、最初の貴族同様、首を吊って死んでいた。足下の書類は、汚職ではなく、マリアンヌ皇妃殺害に関する告発書。書かれた『彼ら』の名前に、生きている者は母を含め、誰も居なかった。

そして、机の中には、すべて十年前の日付で送られ続けたチェスの、駒。



――ルルーシュが本当は何処まで仕組み、何処までを復讐の対象としていたのかなんて、もはや知る事は出来ない。
ルルーシュはもう死んでしまった。
それでも、あの子の遺した仕掛けは、今も何処かで牙を研いでいるのかもしれなかった。
わたしの、すぐうしろで。
わたしの、いちばん畏れる方法で。



私はそれが恐ろしくて仕方が無い。









2006.11.24 魔女は黒を畏れる。end