悲しみはたった1つだけではない。

1点に向かうのではなく、次から次へ、あちらへ、こちらへ幾重にも重なり合い、響き合い、輪唱し、暗い淵の中を波紋のように広がってゆく。――それは、にくしみに似ている、とルルーシュは思う。
かなしみは、にくしみ程力にならない事も、はじめて理解した。実感を持って。
飽和量を超えたかなしみの中に、これからもずっと揺蕩う事は、とても楽だ。ただ母の事を考えていられる。もう、たたかわないで、すむ。
(でも、ダメだ。まだ。『まだ』、それは赦されない。)
かなしみを、憎しみに変えなければ、いけない。
怒りと憎しみは、全くの別個のもので、誰かを憎む事は、ルルーシュにとって酷く疲れる事だったけれど、そうしなければルルーシュは何も出来ない。動けない。
(ナナリーを、護らないと、いけない。)
あの子だけは、もう、傷付けさせてはいけない。
だからルルーシュはたたかわなければ、いけない。かなしみを憎しみにかえなければ。憎しみを原動力として、立ち上がらなければ。――氷の刃である事を、魂に刻み付けなければならない。
(きっと、ナナリーが母上と一緒にいってしまったら、簡単に俺を始末できたのに。)
ルルーシュは一人きりなら、すべてを投げ出して、ずっと微睡んでいただろうに。
かなしみと、優しい想い出の中に。
殺される瞬間まで。
(そうすれば、『お前達』も、恐怖の中で死を思う事も無かっただろうに。)
『計画』は既にルルーシュの頭の中にあった。きっと、簡単に全員殺せるだろう。
(かわいそうに。)
それは、誰に向けたものであるか。


「かわいそう」


暗闇の中、音がひとつ。落ちた。




「お前は死人だな。」

怜悧な表情を崩す事無く、シュナイゼルが言った。
皇帝への謁見を望む旨を、兵に伝えた直後の事だ。
マリアンヌの葬儀は既に済んでいる。シュナイゼルは多忙を理由に出席しなかったが、ルルーシュの所へ、自ら一人でやって来る事は出来るらしい。
ルルーシュは、それに挟む口を持たない。そんな些末を気にする事は、もう、無い。
もともと、シュナイゼルがルルーシュを訪ねてくる事は判っていた。その内容も。
「そしてお前もそれに気付いている。自分が一度も生きていないのだと」
「父上ならば、既に死んでいる、と仰られるでしょう。」
ルルーシュもシュナイゼルも、それぞれの言葉を否定しなかった。
ルルーシュとシュナイゼル、そして彼等の父である皇帝は、とてもよく似ていた。思考、判断の仕方、その眼の色までもが。
全く同じ、最も至高なる紫。
だからこそ、多くの者がルルーシュを厭いながらも恐れ、そしてシュナイゼルの母親はルルーシュの存在を許そうとしない。
「…皇位継承権を放棄しようと思います」
「父上は許さぬだろう。」
驚く様子一つ無く、シュナイゼルが応える。
そう会話した回数は多くは無いが、ルルーシュもシュナイゼルも、お互いの会話で何かの感情を見せる事は無い。感情を出さないようにしているのではない。
必要が、無いのだ。
いつもルルーシュは、この一回り以上歳の離れている2番目の義兄と話すと、まるで寸劇を演じているような気分になる。相手が何を言うか、どんな反応をするのか、初めから判っていて、それをお互いに台本通りになぞっていくだけ。
シュナイゼルも同じように感じている事を、どちらも知っている。そして、それは皇帝であっても、変わらない。――思考が、似過ぎていた。
鏡のように。
「1年以上も前から私はお前を待っていたんだがな。未だに来ないものだから、私自らが足を運ばせてもらった」
「そうとは知らず、ご無礼を。ご足労、感謝致します。兄上。」
「母の事だ。」
会話の流れを無視してシュナイゼルが告げた。
声に温度は無かったが、冷たくも無かった。ただ、いつもと同じ、決定事項を読み上げているだけの声だ。
「あれでもまだ、利用価値があるのでな。」
実の母親のことを話しているとは考えられないほど、シュナイゼルは何の感情も含ませない。
彼が産みの親を煩わしく思っている事に、ルルーシュは勘付いている。シュナイゼルほど優秀なら、自分を抑えつける我の強い母親は、確かに邪魔者だろう。
「…何の事でしょう?」
「2年もしないうちにその死はお前に伝わるだろう。それで満足しておけ。
コーネリアの方には手を出さん。好きにすると良い。」
『コーネリアの方』。やはり今回の件は、シュナイゼルの母親がコーネリアの母親と共謀しての、結果であるらしい。
ルルーシュは唇を噛む。
期待はしていなかったが、コーネリアにはもっと手を打っておいた方が良かったのかもしれない。…もう、後の祭りではあるが。
「祝砲を聞く術は、無いかもしれません。」
「死を選ぶか」
つ、とシュナイゼルの長い指がルルーシュの頬を撫ぜる。血の通わぬ氷のように、冷たい指先。
ルルーシュは慇懃に頭を下げた。
「もとより、死んでいる身ならば、生きぬままに終わるのも、宜しいでしょう」
シュナイゼルは笑った。華やかに。


「ならばお前の死には氷の花を贈ろう」



これは裏切りなのだろうか。ルルーシュは頭の端で思った。

『生きて、下さい』

きっと、その願いが聞き届けられる事はない。

もうすぐ夏が来る。




氷は、溶けて消えてしまうから。









2006.12.12 氷の華 end