軍内部の技術開発局某所。
今日も今日とてランスロットと向き合って、実験に付き合い、枢木スザクにとっては何の変哲も無い一日になるはずであった。
「お疲れ様です」と馴染みの整備士から渡されたコーヒーをすする。
何だか複雑そうな顔だったので実験で失敗でもしでかしたかと、尋ねようとした所で上司の襲撃を受けた。
「聞いたよ〜スザク君。またユーフェミア殿下の騎士に誘われたそうじゃない。」
「はぁ…相変わらず耳が早いですね」
「いやぁ、あれだけ堂々としつこくしてれば誰だって気付くと思うけど」
それならば放って置いて欲しいと心底思うのだが、それは言っても無駄だろう。
思わずため息を吐いた。
スザクの上司は面白い事が大好きというか、人をチクチクといたぶるのが大好きというか、兎に角も困った性質の持ち主である。
「ランスロットのデヴァイサーになってから一段と熱が入ってきたよねぇ」
ニマニマと笑うロイドを前にしてスザクはもう一度、深いため息を吐いた。
皇暦2010年8月。日本が戦争を回避する為に、かの世界唯一の超大国との同盟を結んだ後、実質上ブリタニアに支配されつつも決して悪くはない日本人の待遇の中、スザクは軍人になった。
枢木本家や周囲からかなり反発はあったが、本人の強い希望とブリタニアから赴任してきた総督の後押しによって、あくまで「特権階級ではなく一般人として」軍に入る事が出来た。
ブリタニアから赴任してきた総督――第三皇子クロヴィスがわざわざ口を出してきた事は周囲を酷く驚かせたらしく、それ以降正式に軍属となった今でもスザクは枢木の介入を一切受けていない。
――『あの子』の、お願いだったからね――
嘗ての親友と半分だけ血を同じくするその人は、けれども少しも似ているところが無かった。
華やかな金の髪も、薄い青の目も、顔のつくりも雰囲気も何もかもが違った。『彼』の方が艶やかな漆黒の髪だった。『彼』の方がずっと深く、濃い紫の瞳だった。『彼』の方が、『彼』の方が――
――君の、手助けを、一度だけして欲しいと言って、いたよ――
――『彼』の遺言ですか。――
怒りを込めて言えば、目に見えてクロヴィスは怯んだ。
その顔にあったのは紛れも無く、哀悼のいろ。
――君は、私達を許さないのだろうね。君から『あの子』を奪った私達を――
――許す許さないの問題ではないでしょう。それに、『彼』は自分の意思意外では何処にも行かないし何もしませんよ。『彼』以外の誰も、『彼』を奪う事なんて出来やしない。――
――あぁ、そうだね。『あの子』は本当に盤面を支配するのが上手かったから、もしかしたらこれさえも計画通りの――
――貴方は、本当に『彼』が死んだと思っているのですか。――
怒りと悲嘆と絶望が体の中で渦を巻いていた。
立場も弁えず、詰問するかのような口調になったのは半ば以上八つ辺りだったが、スザク自身も、もしかしたらという恐怖があったからだろう。
(もしかしたら。
もしかしたら、ほんとうに、『彼』は。)
――……君は、信じていないのかい?――
――おかしいとは思いませんか。――
腹の底と目に力を入れないと、本当は今にも挫けそうだった。
これ以上『彼』の死を信じている人間と話していたくなかった。
――おかしいとは、思いませんか。
僕が軍属になる事を望んだのは『彼』が居たからです。『彼』の傍に居る為です。『彼』を護る為です。
『彼』が居なかったら、そもそも軍に入る意味が無い。
それなのに自分が死んだ後の、軍に入る為の手助けをわざわざ貴方に――エリア11の総督に頼んでおくなんて、おかしいとは思いませんか。――
――頼まれたのは君の手助けであって、軍への入隊ではないよ――
――それ以外の何を助ける事がありますか。それ以外の何に助けを必要とする事がありますか。
枢木である僕が、貴方に。――
言って、席を立った。
(おもいしればいい)
『彼』はそんなに簡単に把握する事が出来る人間では無い。
推し量るなんて事が、出来るはずが無い。
『彼』にとって自分達は盤上の駒に過ぎないのだから。
――僕は、彼を探しません。探す必要も無い。『誓い』は既に立てられたのだから――
クロヴィスに直接会ったのはそれが最初で、おそらく最後だろう。
「噂になっていますよ。枢木一等兵は幼少のみぎりに立てた『騎士の誓い』を後生大事に守っているからユーフェミア殿下の誘いに靡かないんだと。」
「ああ、今回の噂はやけに確かですね」
今までは笑うしかないような話ばかりだったのに。
曰く、枢木スザクはコーネリア殿下に愛妹に手を出さないよう脅されているだとか、実はランスロットには乗れないからとか、パイロットを辞めるつもりだからとか、男色だからだとか。
これらはまだ「マシ」な方で、まともなもの以外ならごまんとある。
「何でも既に死亡した第八皇子殿下がその相手で、今でもその生存を信じているからこそ軍に入り、ナイトメアのパイロットにまで上り詰めたって言う聞くも涙、語るも涙のラヴ・ロマンスで――」
思わずコーヒーを噴いた。
「何処から出たんですかっ、その話!」
「クロヴィス殿下ですよ?」
それ以外に居ないでしょう、と言外に語るロイドにスザクは思いきり脱力した。
(あのひとは…!)
もう自分の事など疾うに忘れたものとばかり思っていたが、ユーフェミアの件で再び記憶に上って来たらしい。
考えてみればクロヴィスは軍のトップで、尚且つユーフェミアの腹違いとは言え実の兄であるのだから、スザクの事で相談に行くのは至極当然の流れで。そして周りからは好かれているが、あまり物事を深く考えられない、かの第三皇子殿下が愛らしい妹姫に包み隠さずスザクの『理由』を話してしまうかもしれないなんて――
(簡単に推測出来たのにっ・・・)
頭を抱えたスザクの上を、これでもかと言う程に弾んだロイドの声が羽虫のように飛び交う。
本当にこの人はランスロットを弄っている時と自分を虐めている時が人生で最も愉しそうだとスザクは思う。輝いているとさえ思ってしまう時もあるが、自信の心の平穏の為にその考えは消去した。
「でもこれで殿下も君の事を諦めるかもしれませんよ?女性はそういう話に弱いですからね」
「…逆に余計押しが強くなりそうな気もしますが」
「『故人の思い出に囚われているあの人を私が』ってヤツですかねー。あぁ、確かにあのオヒメサマならありそうだ。
大変ですねースザク君」
「そうなんですよ。『死んでしまった人には敵わないかもしれないけれど、自分こそは』っていう所が女の人の闘争心をくすぐるらしくって、昔から――って、違うっ!何でロイドさんと女性談義してるんですか!」
「現実逃避したいか、目の前に差し迫っている問題から目を逸らしたいからだろうねぇ」
「厭な事サラっと言わないで下さい!って言うかその二つ意味変ってませんから!」
「大変ですねー。
こんな噂が立っている事が君の愛しのご主人様に知られたら、どうなって――」
「あぁああうあ〜〜〜……」
「いやぁー、凄い事になってますよー、件のラヴ・ロマンス。小説の2、3本は軽く書けるんじゃないですかねぇ」
大変ですねー。と歌うように言うロイドの頭を箒で叩き落としてやりたいとスザクは思った。
それは大変魅惑的な思い付きであったが、今考えるべきはロイド曰く『愛しのご主人様』の耳に入らない内に、どうやってこの噂を消し去るかという事である。
それなのだが、ロイドの様子や、其処かしこから送られてくるささやかとはお世辞にも言えない視線に広まるところまで広まってしまっている事をスザクは悟った。
おそらくコーヒーを渡してくれた整備士が微妙な――それこそ何か同情する様な表情だったのは、この為だろう。彼はかなりの情報通だったはずだ。
そもそも噂の発信源がクロヴィスという事ではもみ消すなど不可能に近い。今の時期、他に面白い話しも無いから、しばらくはこの噂で持ちきりだろう。
残る方法は、『彼』の耳にこの噂が入らないように、ひたすらに気を配る事なのだが、これも酷く成功率の低いミッションである。前述の方法以上に無理だといっても言い。断言できる。
何せスザクの『主人』はありとあらゆる方法でもって、エリア11の政府・軍部に独自の情報網を張り巡らせているのだから、これだけ広まった噂なら物の5分もせずに――
『全軍に告ぐ!』
(あぁ、最悪のパターンだ……)
突如として鳴り響いた放送の声にスザクはランスロットの作業用シートの上に突っ伏した。もう体を支える力さえ残ってはいなかった。
(明日、何て言おう…)
頭上ではいつまでもロイドの笑い声が弾けていた―――。
2006.11.14 喜劇的なまでの悲嘆。――或いは7年目の事変――end