「ナナリー、さっきは何であんな事を言ったの」
ナナリーとルルーシュが住まいとしているクラブハウスの一角に行く途中、スザクはナナリーに訊ねた。
詰問調のそれは、抑えようとも些か強い語調になってしまい、スザクは言ってから後悔した。
ナナリーをほんの少しでも傷付けるような事があれば彼女の兄が黙ってはいないし、何よりスザク自身、それとは関係無しにこのか弱い少女を大切にしたいと思っていたからだ。

「なにをですか?」
「…ユーフェミア殿下に会いたいだなんて」
「なにか、おかしかったでしょうか」
「ナナリー!」
気付いているだろうにとぼけるナナリーに思わず声を荒げた。その事にまたスザクは瞬時に後悔したが、口をついて出た言葉は戻る事が無い。
「ルルーシュがあそこに居なかったから良いようなものの、あの言葉をルルーシュが聞いたらどんなに気にするか――」
「わかっています。」
ナナリーは少しも動じる事無く、スザクに応じた。

周囲に人気は無い。
もともと、生徒会メンバーしか出入りしないクラブハウスの、更に兄妹が私有を許された居住スペースだ。余程の事か彼等に招かれでもしない限り、誰も近付こうとはしない。
それは彼等のプライベートな空間を守る為でもあったし、何よりお互いを殊更大切にする兄妹の『聖域』を守りたいと誰もが心の何処かで思っていたからだ。
決して癒えない疵を必死に隠して笑い合う、2人だけの安息の場所。
「ごめんなさい。
わかっています。どれだけお兄様が私を護る為に頑張っているのか。あの人達に知られないようにしているのか」
「なら、何で」
「――スザクさんに、怒られたかったのかも、しれません」
「ナナリー……?」
ナナリーの車椅子をゆっくりと押しながら歩いて行く。電動なので、大した力は必要無い。
本当はナナリーは通いなれたクラブハウスの道ならば誰かの手を借りずとも一人で帰れたのだが、わざわざ送る事を頼んだのは他でもないスザクだ。
何故あんな事を言ったのかナナリーに訊きたかったから。必死でナナリーをブリタニアから遠ざけようとしているルルーシュの気持ちを知っていながら、ユーフェミアに会いたいと言ったナナリーの言葉に怒りを覚えたからだ。

けれどナナリーは問い詰めようとするスザクに、笑ってはぐらかした。
スザクの位置からはナナリーの表情は覗えない。
「スザクさん。
スザクさんがお兄様じゃなくて私を大切にしてくれるのは、お兄様が大切だからでしょう?」
「ナナリー、それは」
こっちが訊いているのに、判っている筈の事をわざわざ訊き返すなんて意地が悪いとスザクは思った。
スザクにとって、ナナリーと彼女の兄のルルーシュとのどちらに心の比重が重いかと問われれば、それはルルーシュだろう。けれどどちらを優先して守ろうとするかと問われれば、それは確実にナナリーの方だ。
ルルーシュは同い年で同性で、対してナナリーは年下で身体に障害のある少女で。また何よりルルーシュ自身が、ナナリーを優先する事をスザクに求めている。
もちろんナナリーの事は心から好意を持っているのだから、スザクに否は無いが時折もどかしく感じたのも事実だ。
だからこそ、当の本人に指摘されてスザクは居心地が悪くなる。ナナリーの声にその事実を責める色は微塵もなく、むしろそれを喜んでいるのが感じ取れて、先程の事と合わせて余計にナナリーが判らなくてスザクは心がざわつくのを感じた。
「スザクさんは、本当は何を怒っているんですか? 私の事以外でも、何か、怒ってます。」
そうだ。苛立っている。
指摘されて、スザクはどうにも最近、自分の感情を上手く抑えられなくなっている事を自覚した。
原因は判っている。
けれどその事をナナリーの前で口に出すのも思い出すのも憚られて、スザクは結局口を噤んだ。
「…お仕事、大変なんじゃないですか?
疲れてると、ちょっとした事も気になったりしますし。」
そうなんだろうか。ナナリーにそう言われればそうな気もしてくるけれど、何か違う気がした。スザクには何か違和感のような、意図的に摩り替えられているような気がした。
ナナリーの中で繋がっている断片が、スザクの中では決して結びつかなかった。

「ねぇ、スザクさん」

何時の間にかスザクの手を離れて数歩分先に行ってしまったナナリーが、ゆっくりと振り返る。
母親譲りだとルルーシュが嬉しげに話していた、緩やかなウェーブをえがくやわらかい亜麻色の髪がふわりと揺れて、――スザクは、息を呑んだ。紛れも無い、恐怖に。

「ねぇ、スザクさん。
そんな事はありませんよね?」



ナナリーの光を映さない淡い紫の眼が、焦点の合うことの無い双眸が、じっとりとスザクを視ていた。



「だって、お兄様はお友達ですものね? お兄様を選んでくれますよね?
決して見捨てたりなんか、する筈がありませんよね?」

スザクへ問う声と制服のスカートを握り締める手は泣きそうに震えているのに、スザクはただただ、生まれて初めて見るナナリーの可憐な貌にある、抉り取られたような、無理矢理に植え付けられたような二つの空虚な穴から眼が離せなかった。
奪われ、壊された末路の、虚空。
もはや感情でさえ映せない、ブリタニアの破壊の証。


「本当に、ユーフェミア殿下やコーネリア殿下に、逢えたりしませんよね?話したり、接したり、する事なんて有り得ませんよね?そんな事、スザクさんがする筈がないですよね?」


窓から入る西日がナナリーを照らした。強い光にも、ナナリーのそれは動かない。
そう。罪は、常に『ここ』に、在る。
薄い肉の白さに覆われて誰もが気付けないだけで、何時だってその洞はナナリーの中に在り続ける。
それを、ルルーシュは知っていた。
見続けて、きた。
廊下の白い壁が染まる事無く日常を映し出す。その中でナナリーだけが、あかく、染まってゆく。
彼女だけが、赫く。

「そんな事はありませんよね?お兄様を傷付けて踏みつけて踏みにじって、それなのにその上で微笑い合ってるあの人達に。それを当然だと思っている人達に。昔も、今も、いつだってお兄様の事を奪い続けてるあの人達に。その事さえ知らなかった人達に。それがお兄様にとってどれだけ痛かったなんて気付こうともしない人達の側にいるなんて、」




「そんな事、ある筈がありませんよね」








2007.01.26 裏切るなと呼ぶ声が聞こえたend