ブリタニアの皇族は、物心つくまでに、皆同じ支柱を得る。
基盤とも本能とさえ言えるそれは、「絶対」で、決して背くことはできない。
意図的にも、意図せずとも。
少しでも我欲のある者はそんなことを意図せずに生き、少しでも大切なものがある者は無意識下でその選択を繰り返す。自分を騙すように、あるいは言い聞かせるように。
いつだって「己自身」を選択し続ける。
どんなに大切で、どんなに愛する者がいようと関係ない。そもそも気付いている者が皆無に等しい。
地位や名誉、保身、富、プライド。言葉は違えど、ブリタニアの名前を冠する者に共通した血に刷り込まれている最終選択の仕方は、シュナイゼルからしてみればとても読みやすいものだった。
ユーフェミアを溺愛していたコーネリアだとて、必ず己の立場を優先してきた。
無論、シュナイゼルも。

だから、その子供の存在は、シュナイゼルにとって正しく脅威であり、たったひとつ血族の中に存在していた異物であった。
ただ一人。
己を持たず、己を選ばず、最愛の妹こそを「絶対」に置き据えた子供。
何処までも愚かに、敏かった子供。
ルルーシュという名の義弟は。




「何をしている藤堂。ナナリーの捜索に向かえと命令したはずだぞ」

その言葉を聞いて、あぁ、壊れてしまったんだね、と。めまぐるしく働く脳裏の遠くで、ぽつんと思った。

「っ、この期に及んで何を!質問に答えろゼロ!!お前の命令を、我らがいまだ聞くとでも思っているのか!」
馬鹿にされていると感じたのだろう。怒りを込めて、10年近くブリタニアと戦い続けた歴戦の将軍が咆哮するのを、シュナイゼルはただ静かに聞いていた。
あぁ、この男は。この軍隊は。何も分かっていなかったのだと。
年離れた義弟が、1から創り上げ帝国と相対するまでに育て上げた軍隊の中核。おそらくは仮面越しであったとしても、最も多くの時間を共にし、死線をくぐり抜けてきたであろう仲間達。
その彼等は、結局のところ、この子供の愛情深さを少しも理解しなかったのだ。
その愛情を。優しさを。どれほどに脆く、そして美しく悲しいかを。
何も知らず、知ろうともせず、ただ彼の示す策を信じ、けれど常に存在を疑い、その上で何も考えずに彼の後をついて歩いて来ただけなのだ。
「仮面を外すんだゼロ。いやルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。俺達はもう何もかもを知っている。君の素性も、…ギアスの事も!」
藤堂の声で怒りがより一層周囲に伝播したかのように、副指令であった男が、強く断じる。
他者からもたらされた情報を鵜呑みにし、己が頭で考えもせずに、振りかざす。つい先ほどの自分の思考と、男の「知っている」という言葉のあまりの滑稽さに、もはや失笑する事さえ出来ない。それでもほんの少し身じろげば、微かに首を動かした子どもと、仮面越しではあったが目が合った。
「…あにうえ?」

(あぁ、本当に)

聞こえた声が幻聴ならば良かったのに。
もはや、ため息さえ出ない。あまりにおろかしくて。
張りつめた空気の中、子供の放つ言葉だけが場違いに響く。そうして騎士団の前では初めてだろう、何でもない事のように仮面を外せば、現れるのはつい数時間前に――数年ぶりに見つめた子供の顔。すべての負の感情を掻き集め、飲み込み溜め続けることで美しく成長した義弟の顔。
そのあどけなさを未だ残す双眸が、向けられた銃口にまるで気付きもせずに、ただシュナイゼルを写したまま疲れたようにかすかに笑う。ようやく、答えを与えてくれる人間に辿り着けた迷い子の安堵をにじませて。

「あぁ、兄上。いらしてたのですか。ならナナリーは見つかったのですね。ブリタニア軍が先にナナリーを見つけたのですか。みつけられたのですか」

あにうえ。あにうえ。ナナリーは、ナナリーは。ナナリーを、ナナリーが。
紡がれる声に、後ろに控えたカノンが身じろぐ。先ほどのシュナイゼルと同じように。それしか出来ぬとばかりに。
(あぁ、本当にルルーシュ。――そんな、いとけない声を出すものではないよ。まるで、昔のように、無垢なひとみをするものではないよ、ルルーシュ。
私が愛したそのおろかさを、お前は未だに抱え続けていたのかい)
「咲世子にずっと連絡しているのですが繋がらなくて。ロロは変な事を言うし、ジェレミアは帰ってこないので。
ずっとナナリーを探しているのに見つからなくて。でも、ブリタニアが先に見つけてしまったならそれも仕方ないですよね。ナナリーは大丈夫ですか?戦場で、こわい思いをしていませんでしたか。怪我の一つも、してはいませんでしたか。あぁ、そうだ兄上。兄上。
ほんの、少しでいいのです。ナナリーと、ほんの少しだけ、話をさせて戴けませんか。ほんの、すこし。たった一言でいいんです。どうしても、ナナリーの、あの子の声が聞きたいんです。」
声は続く。
ほんの少しの疲れと必死さを交えた、おさなごの一途さで。
ひたすらに。
(君は気付いたかい、カノン。)
けれど「彼ら」は気付かない。今を以ってしてさえ。
目の前の存在が、どれほど真摯にこの言葉を綴っているのか。
本当に、なにも目に入らず、一途に一人の妹の幸せを願っているのか。
「――いい加減にしろ、ゼロ!!」
「何をふざけたことを!そんな風にして誤魔化せるとでも思っているのか!」
怒号に、けれどルルーシュはまるで知らない世界の、知らぬ言葉を聞いたかのように、微かに首を傾げただけで。
それが更に騎士団の面々をいらつかせる。
(何て茶番。何て喜劇だろうねルルーシュ。彼らは、ずっと君の声に従っていた彼らは、君の声にさえ気付かない。)
気付かず、それなのに相手にされていない事だけには気付いたらしい。膨れ上がる殺気に、引き金にかかったいくつもの指に力がこもる音が耳に入る。
「…ルルーシュ」
この場で、初めて声をかければ、いくつかの剥き出しの殺気がシュナイゼルにも向けられる。「兄弟の情が頭をもたげたのか」とでも疑わんばかりに。

(本当に、何て愚か。)

今更、ルルーシュの命をシュナイゼルが望むはずが無いというのに。ルルーシュの存在こそが、シュナイゼルにとって、ただ一つ、己の支柱を揺らがしかねない危惧すべき唯一であるというのに。
「ルルーシュ。ナナリーに逢いたければ質問に答えなさい。」
「あにうえ?ナナリーは、」
「君が。素直に、正直に、君の罪をありのままに答えたなら、ナナリーに、すぐにでも逢わせてあげるよ。」
「おい、なに言って、」
「ナナリーに?あわせていただけるのですか!」
勝手な事をするなと制止しようとした団員の声に、ルルーシュのはしゃいだ声が被さる。
「あぁ、逢えるとも。ルルーシュ、君は『ギアス』という能力を持っているね?…他者を、思いのままに操る力を。」
「はい。それが何か?」
さらりと。本当に、何でもない、誰もが知っている世界の日常の欠片のように放った肯定に、ざわりと空気が不快気に歪む。
それを押し留めるような穏やかな口調で、その実、加速させる為だけの言葉を落とす。
「…君は、そのギアスで、誰に、何を、命令した?」
本当の事を答えなさい、と。諭すように告げれば、きょとんとした瞳で見上げられる。
そこに、ほんの刹那。よぎった光に、シュナイゼルはかつて、そしてこの寸劇の間に幾度も感じた、諦観のような愚かさを再び感じる。
――もう少し、賢しくあれば、義弟の今は違っていただろうに。
壊れてなお、この場に存在する何者よりも、恐ろしく精密に働く頭脳さえなければ、ずっと楽に生きてこれただろうに。
ブリタニアの皇族の中で、たった一人、ナナリーという他者を支柱に持っていなければ。それほどまでに愛する存在を持たなければ、ルルーシュはこれ程までに才を得られなかっただろう。自分自身に対しては、どこまでも鈍感な子供だったから。
そうして、もしルルーシュが、あと僅かに、ほんの一雫でも賢しければ、シュナイゼルはこうまで愛さず、そして恐れなかった。

ルルーシュはおろかだった。
ナナリーを基盤に埋め込んだ精神は、どこまでも己自身を消費することで誰よりも強くなってみせた。
依存や投影よりも余程強固な、一種の同化とでも呼ぶべき純愛。
――ナナリーは僕が護るんです。――
それがルルーシュの口癖だった。
シュナイゼルの前で、初めてその言葉を発したルルーシュの双眸の中の光を見た時の、あの背筋を貫いた怖気を、生涯忘れる事はないだろう。
どこまでも強く。激しく。無意識下で己のあらゆるものを捧げて。
ブリタニアを受け継いだ子供は、すべてのブリタニアを、シュナイゼルを否定し証明して見せたのだ。
(ルルーシュ。私の、私がたった一人、心から愛し恐れた弟。おまえが、こうまでおろかでなければ、)
そうしたら、きっと無関心でいられた。
クロヴィスのように。コーネリアのように。ユーフェミアのように。
どこまでも無関心に、少しも脅かされる事なく、時に助け、後押しし、時には諭し、妨げる。
そんなブリタニアの名の下に、当たり障りのない兄弟でいられた。
ルルーシュがたった一人の為に、シュナイゼルの隣に並び立ち脅かすほどの能力を有そうとしなければ。

慈しんであげる事さえ出来たかもしれないというのに。

「――初めて、ギアスを使ったのはクロヴィスにです。」
ルルーシュが言う。
シュナイゼルがずっと聞きたくて、でも二度と耳にしたくなかった声音で。
「ゲットーの壊滅を命じました。
テロリストを助けるきっかけが必要でしたから。」
すらすらと、台本を読み上げる様に、よどみなく謳う。
己の罪を。偽りの罪を。
(…本当に、お前はおろかなまでに優秀な子だ)
なるほど、これでは気付けない、とシュナイゼルは思う。
彼らは気付かない。
ルルーシュが気付かせない。
きっと、今までもずっとそうしてきたのだろう。予想する事は容易い。そうやって、ひとりで生きてきたのだろう。
――ならば、彼らを責めるのもまた、筋違いなのだ。
「旧日本解放戦線の男に、ホテルジャックを起こしたのち、自害するように命じました。イレヴンにもブリタニア人にも関係なく存在するのだと、黒の騎士団を公表するために。そうして、桐原にギアスを掛けて私を認めさせました。キョウトの協力を得て、でもユフィの特区が邪魔だったので、虐殺を命じました。
イレヴンの命に思い入れはありませんでしたし、ユフィには私の正体が知られていましたので、始末できて随分楽になりました。
それから――、」
「もういいっ!!」
滔々と流れる声を、憎しみに満ちた叫びが遮る。
大の男でさえ怯ませる武人のそれにも、ルルーシュは何ら動じる事無く静かなままだ。ルルーシュの心に、この世に生きる人間の声が届く事は決して無い。
「すべては自作自演だったという訳かゼロ!だが今度ばかりは貴様の思い通りにはさせん!
我等は我等の意志で貴様を討つ!」
藤堂が右腕を高々と掲げる。
場が更に張り詰めて、ビリビリと肌を打つほどだというのに、すべての殺気を集める子供はやはり変わらぬ空気のまま。
その腕が振り下ろされる、刹那。

『これで、よろしいですか』

大気を震わせることなく。
シュナイゼルの恐れも打算も、確かに存在する賭け値なしの愛情も、すべてを理解した風に。
世界の残照を凝り固めた、美しいだけの瞳で。
これでナナリーの元へゆけるのだと咲き誇る華のように微笑んで。
何も掴めず、すべてに裏切られて死んでゆくというのに、その笑みがあまりに幸せそうだったから。
壊れてなお、すべてを理解するこの子のために、せめて泣く事が出来ればよかったのにと。

銃声が轟く世界に、ただ、目を閉じた。





『いいかい。よくお聞き。
これからありとあらゆる悪意と災いがお前の身に降りかかるだろう。
けれど忘れてはいけないよ。愛しい子。
そのすべてはお前のために起こるのだと。
そしてわたしがお前を愛しているのだと。』
『その禍々しきことを乗り越えれば、わたしの世界はかがやくのですか?』
『いいや、いいや。愛しい子。
お前は必ずやその災いによって灰の一つさえも残さずに滅ぶだろう!
その時にこそ、その時にこそ。
お前は生まれて初めてやすらぎをひと時得る事が叶うのだ。』


ヨハネス・ランドル――『神の庭』




2008.08.21 カーテンコールで逢いましょう end