「ゼロの所為だ」
初めに言い出したのは誰であったか。
ブリタニア軍人だったかもしれない。黒の騎士団に誰か親しい人を殺された人間だったかもしれない。――イレヴンだったかもしれない。

初めは一笑にされていた言葉も、時が経るにつれ、大きく強くなっていった。
「魔術だ」
誰かが囁いた。
「あの男は人心を操る悪魔だ」
叫び声が上がった。
誰もが荒唐無稽な話だと心の何処か感じながらも、そうに違いないと決めつけていった。

なぜここまで短期間で黒の騎士団は大きくなっていったのだ。あの男が不可能を可能にしていった、その事実の裏には悪魔のごとき異能があったからではないのか。あんなにも人の目を引き付けていたのは、誰もがあの男の魔術に罹っていたからではないのか。
人々は畏怖した。嫌悪し、疑惑を宿し、それ以上の強さでもって憎悪した。
ユーフェミアが直前まで男と二人きりで話していた事は誰もが知っていた。男がユーフェミアを止めようとしていた事は誰も気づいていなかった。
――明暗は、はっきりと分かたれていた。

ユーフェミアは虐殺を命じた時の事何も覚えておらず、己の所業に悲鳴をあげて自らの死によって償おうとした。慈愛の姫君は虐殺の魔女となり、悲劇の皇女へと容易くその名を変じた。
重すぎる罪に嘆き、贖罪を求め、見る影もなくやつれていく愛らしかった皇女の姿を誰もが憐み、転じて男への憎しみを強くした。
「私じゃないわ私じゃないわ。私はこんな事を命じていない」
すっかり輝きを失ったバサバサの桃色の髪を振り乱し皇女は涙する。
「ならば誰の所為だ」

答えは、もう全ての人間の胸にあった。

すべての怒りと憎しみは男へと向かった。留める術は無かった。実像なき仮面の漆黒の――闇の虚空に人々は自分の見えない悪意の総てを映した。鏡面が写し取ったそれを、男だと断じた。
男の率いていた組織も次々と男を裏切っていった。誰もが「操られていた」と。「戦っていたのは俺の意思じゃなかった」と言って逃げていった。残る者も、誰もが男と己の意思に疑いと不安を残していた。
そうして副司令の男が言った。
「俺は魔術を信じない。」
それは男を弁護するものでは無かった。
「けれどあの虐殺を予定していたのは、命じたのは、実行させて己の利にしようとしていたのは君だ」
迷いなく断定の言葉を吐き出したのは確かな根拠があったからだ。
「君が、命じさせたんだ。
かつて救援を求めた解放戦線の人々を囮にし、あまつさえ敵が捕りついた所で自決に見せかけて爆破し敵戦力を殺いだように。」
今回も、20万を超える日本人を利用する為に殺したのだろう、と。
いつもは弱気で自信なさげな副司令が、かつてない程に強い眼で言い放った言葉は、男の否定の言葉をかき消した。
どんな手段を使ってでも結果を手にしてきた男には前例が在り過ぎた。何を言った所で耳を傾ける者も、信じる者もいなくなった。
男のそれまでの容赦ない策略こそが男を追い詰め、追い立てていった。
騎士団は男の唱えていた「正義」こそを掲げて、男という「悪」を討つため反旗を翻した。
男の後ろ盾であった筈のキョウトも二家を残しブリタニアへ降った。
男こそが主を殺したのだと知った武士は仇を殺そうと躍起になり、紅き剣は男と己の行動に対する自信を失い、敵の騎士の説得に応じた。
「誰を信じればいいのか解らないの。もう、わかんない」
と、泣きながら歩みを止めた。それでも好きなのだと。――自分自身を信じればいい、とは男は言わなかった。

それでもただひとり、男と供に在った女がいた。
人と異なる異質な雰囲気の女を、人々は魔女と呼んだ。
そして言った。

男はやはり悪魔なのだと。

旧世の魔女狩りのような気狂い染みた熱量で以って、人々は男を殺そうと声を荒げた。武器持つこぶしを振り上げて、これは正当なる行いなのだと。
それでも男は捕まらなかった。
悪魔の狡猾さと智謀で、逃げては挑み、現われては消えた。

人々の悪意は留まる事を知らず、肥大した憎悪は膨れ上がった水風船のように、はち切れる瞬間を待っていた。――針は、まっすぐに落とされた。

ゼロはブリタニア人の学生なのだとメディアが報じた。
たったそれだけで、人々は暴徒と化した。
イレヴンもブリタニア人も関係なく、ゼロを殺せと多くの暴徒が学園に押し寄せ、引きずり出せと暴れ、そんな中何人もの学生達が暴行の果てに殺害された。
被害者であり容疑者には周囲から嫌悪の目で見られていた生徒、抵抗しようとした生徒――…逃げる術を持たなかったか弱い少女もいた。



直後、男はぴたりとあらゆる抵抗を止めた。


自ら死刑台へ上がり、人々の前に姿を現した。女は傍らに居なかった。
男は、真実独りだった。

「殺せ」

誰かが言った。

「殺せ」

また誰かが言った。


「  こ  ろ  せ  !  」


もはや声なのか音なのか判別が付かなかった。自身の声も隣の人間の声も聞こえなかった。世界が体を揺らしながら喉を引き裂く力で叫びを放ったからだ。
男から離れた位置にいる軍人達が一斉に死の刃を向けて、浄化の火を放つよりはやく、男が右手を上げた。
男は拘束されていなかった。誰もが操られる事恐れて近づかなかった。近づけなかった。
右手を上げ、誰も見た事の無い素顔を隠し続けた仮面を、人々の悪意の投影された仮面を取り払う。

――現れた「実像」に、誰もが声を喪った。
あまりにも、晒された素顔は美しかった。人々の脳裏に描かれていた悪鬼のごとき醜悪さなど何処にも無かった。
己を取り囲む何十万もの人間を、敵を見据えるその造作も表情も、いっそ聖女めいた清らかさを有し、線の細さはその儚さを強調させていた。
左右で彩の違う左目だけが、禍々しくも光り輝く。幾万もの羽虫が犇めくように肉眼では追い付けない速さでせわしなく点滅を繰り返す。…その背筋が冷えるような輝きでさえもが、美しかった。
男から遠く離れた位置でも、画面を介していても、その表情と左目の光だけは誰にでもはっきりと視とる事が出来た。
なぜだろう、と疑問に思う声は上がらなかった。
魔術だ、と断じる声は何処にも無かった。
「…この声は俺が死んだら消えるだろう」
よく通る声が、頭の中で響いた。
鼓膜を介さず、直接脳蓋を揺らし、振動し続ける。エコーのような共振を起こしながら、いつまでも、いつまでも。
「だから言葉にする事に躊躇いはしない。」
さいあいを、見るように。わらう。
「――お前達は苦しめばいい。狂えばいい。惨めにのた打ち回って死ね。」
言葉の意味だけは怨唆の綴りを、聖句のように厳かに告げた。
そこに一片の慈悲も与えられない。赦しなど世界の何処を探しても、在りはしない。
「あの子はもっと苦しかったろう。恐ろしかっただろう。何も知らないまま死ねた事だけが救いだなどと誰が言うものか。幸せだなどと言うものか。
あの子は俺の理由だった。意味だった。世界だった。血と泥にまみれた両手で、ただひとつ保ち続けられた、たったひとつ、ひとつだけのきれいな宝物だったのに。」
赫い片目の中、蠢き犇めいているものが滲んで。
一筋、ながれた。
――とうめいな、みず。

人々の爛爛とぎらつく程に熱を放出していた殺意が、その向う先の対象を失って急速にしぼんでゆく。
男は、あの悪鬼は何処へ行ってしまったのだろう。
彼らの前には一人の少年しかいなかった。魔を操る男なんて、何処にも存在していなかった。
「俺はお前達を許さない。赦しはしない。

――絶望しろ。希望など与えはしない。薄っぺらな鏡へ向けた憎悪はいつの日かお前達自身の元へと還っていくだろう。


そうしてお前達を滅ぼすだろう」


左手が赫い眼前にかかげられた。いつの間にか、握られていた銃と共に。
「やめろ」
誰かが叫んだのかもしれない。
「やめてくれ!」
動く事を忘れた中、白い騎士の声だけが響き渡った。

ゆっくりと見せ付けるように微笑んで、人差指へと力を込める。
唇の端が三日月のように確かな弧を描き、手袋に包まれた手の甲の筋が僅かに浮き上がる様をスローモーションのように、ゆっくり、ゆっくりと静かに流れていき、悲痛な叫びだけがひっちゃかめっちゃかに歪んだまま早送りで飛ばされていく。

「………だが、そう。避けたくば、やさしいせかいを。」

せめてあの子のために。

赫い鳥が、羽ばたき掻き消えるのを、世界は見た。

「ルルーシュ―――――っっ!!!!!!」

その声は、確かに何処にも残らなかった。







3日待てばよいのだ。
少女は長い髪をなびかせて、軽やかにターンをきめた。
歩道の真ん中でステップを踏むように歩く少女を何事かと振り返る人々に、負の感情は見当たらない。
それをくすぐったく感じながら、少女は多くの意味合いで軽い身体を動かす。
みっか。
口の中で、舌先に何度も同じ言葉を転がせる。
三度昼と夜を数えれば、そんなものはすぐ其処だ。
目が覚めたのは夜だったから、今日この日の昼を越えれば最後の望みが果たされる。
なんて待ち遠しいのだろう。
喜びで弾む心のまま、呪縛の解けた四肢を動かす。
少女はもう女ではなかった。少し不揃いになっていた毛先と、伸びた指の爪が何よりの証拠だ。
王の力を与えた少年は女をも凌ぐ力を手に入れ、神の頂でさえもその手に掴み取ってしまった。
聖書を倣うように、3つの昼と夜を超えて彼は還ってくる。
うれしい。うれしい。
眠っている間にどれ程の時が流れたのか、少女には興味がない。昔の間隔ではいけない、と思いつつも、けれどやはり少女には時間も世界もどうでもよいものとして捉えられてしまう。――この、3日と。そしておそらくこの先の未来以外は、だけれど。
白い騎士は何度も何度も死のうとし、けれど何故か死ねずに狂って嗤って今は白い消毒液臭い箱の中。死ぬまで嗤い続けるだろう。
お姫様は止めようとした彼の叫びも人々を殺した銃の重さも光景も思い出して首を括った。
戦女神は戦場で撃たれ、皇帝は息子に殺される。殺した皇子は国を整えた後いずこかへと姿を消した。
気弱な男は「俺の所為じゃない」と繰り返し続けて衰弱死。
武士はもはや生きる意味無しと腹を切り、紅の娘は狂乱して軍に殺された。
箱庭であった学園は更地になっており、一族はみな処刑されたと聞く。
うれしい。
嬉しくて仕方がない。
これで彼を縛るものは何も喪い。
少女だけが彼を独占できるのだ。
うっとりと微笑む少女へ、通りすがりに横目で向けられる視線は穏やかだ。世界に争いはなく、何処までも優しい。

やさしいせかいを、いきてゆく。

抑えきれず、笑い声を漏らした。
そうだ、名前を呼んでやろう。少女以外、誰も知りえない名前を。
そうして、呼んでもらうのだ。彼しか知らない少女の名前を。

赫く淵取りされた瞳をもつ人々の作る平和な世界で、少女は空が墜ちるのを待った。








2007.03.29 いばらの冠end