背後からそよぐ風が優しくC.C.の髪をまぜる。明るい緑色のそれは、顔前に向けて流れて行き、薄い紗のようにC.C.の表情を傍らの男から隠してくれた。
男の漆黒の髪も同じ様に風と戯れていたが、男とC.C.の身長差のおかげで、C.C.からは彼の表情を覗う事が出来た。
男の表情はこの場所に来た時から変らない。ただ静かに前方で起こる破壊を眺めている。
それは遥か遠くで行われていて、2人の佇む場所からは、昇る土煙ぐらいしか認める事は出来ない。C.C.はそれが何処から昇っているものなのか知っている。男も。
男はじっとそれを眺めている。瞬きすらせずに。じっと。

うまれた場所が、こわれる様を。

「もっと近くでなくて良いのか?」
ややあってC.C.が訊ねた。視線が合わさる事は無いと知っていたから、同じ様に前を向いたまま。
男の名前を呼ばなかったのは、C.C.も何と呼べば良いのか分からなかったからだ。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは7年以上前に死んでいる。ルルーシュ・ランペルージもエリア11のテロに巻き込まれて死亡していたし、その少し後でゼロも男の親友に殺されている。
男は既に3回死んでいた。2度は書類上。3度目は実際に心の臓を撃ち抜かれ、苦痛の内に微笑って死んだ。
C.C.が只のイニシャルでしかない様に、男の名前も既に喪い。

「ルルーシュでいい。」
C.C.の思考が判っているかのように、男――ルルーシュは問いかけを無視した言葉を落とした。無視した事が問いへの答えでもあり、C.C.の予想通りに視線を向けないままだった。
ルルーシュは微妙だにせずに王宮の方角を、王宮が落ちる様を見ていたが、本当に見たいのは違うものだろうとC.C.は思う。
例えば、今もエリア11――既に「日本」と名前が戻っている――の学園に居る妹や、視線の先で今この瞬間にもランスロットを駆って戦いを続けている男を。
「…逢いたくないのか?」
本当に自分は問いかけてばかりだな、とC.C.は思った。
まだルルーシュが学園に通っていた頃もC.C.はルルーシュに問いかけてばかりいた。
ルルーシュは何時もそれをうざったがって眉を顰めたものだ。「何でお前はそんな事を知りたがる」と言うルルーシュからの問いに「お前の事が理解したいからだ」とは答えないでおいた。本心だったが。

「会いに行かなくて良いのか?お前の特別に。」
「心臓を撃たれて生きている人間は化け物と呼ぶんだ。会ってどうする。」
「化け物であれ幽霊であれ、会えれば喜ぶだろう」
特にあの2人は、何があろうとルルーシュを愛しぬくだろうとC.C.は確信している。
「……ナナリーは気付いている。たぶん。」
ルルーシュの目が柔らかく和む。目の前に居なくとも、ルルーシュの目には何もかもを理解している様に微笑むナナリーの姿が浮かんだ。

ルルーシュの最愛の妹は目が見えない分、人より敏感に異変を察知する。殊更、兄に対しては。
『私の事は心配しないで下さいね。私なら大丈夫ですから。それよりお兄様こそ、あまり危険な事はしないで下さい。…私はお兄様に「何があっても」ここで待って、いますから。』
ルルーシュ・ランペルージが死亡する数日前に、ナナリーは兄の手を自分の手で包み込んで言った。あの日の笑顔とぬくもりはこの先何があっても忘れる事は無いだろう。
たとえ何十年、何百年経っても。
「スザクは――強いから」
だから、全てを受け入れようとする事をルルーシュは知っている。向けられる負の感情も。犯した罪も。それは同時に壊れる危険性も孕んでいた。
例えばゼロを殺したその時の様に。
(馬鹿だな、スザク)
彼が壊れかけていた様は、ルルーシュにとって穿った胸の穴よりも痛かったが、少し――本当に少しだけ嬉しかったのも、確かだ。
(俺は、とっくに赦してるのに)
スザクが求めれば、ルルーシュは幾らだって赦しを与えたのに。
求めようともしなかったのはスザクだ。

スザクが壊れない様にルルーシュは目的やナナリーを遺したが、けれどそれは無用だったかもしれない、とも最近では思う。
彼は別の人間から、赦しを得る。
「スザクも大丈夫だ。ナナリーの事を頼んでおいたし、……今はユーフェミアが居るから、彼女が癒すだろう」
腹違いの皇女の名前を言う時だけ、僅かにルルーシュの顔が歪んだ。
ルルーシュの発言とそれに付随した態度を目に映して、C.C.は「馬鹿かこいつは」と呆れかえった。

枢木スザクは皇女には直せない。ルルーシュを殺した彼は、もう『戻らない』。
彼は枢木スザクに夢を見過ぎだ。好いた相手に対する欲目だと理解できたが、C.C.は面白くなかった。
ルルーシュはスザクがユーフェミアを愛していると思っているが、それは全くの勘違いである。
当人達は気付いていなかったが、彼らが互いを特別に深く想い合っていたのをC.C.は知っている。友愛も、家族愛も含んだそれは、けれどそのどれよりも遥かに静かで強く、優しいだけではない情愛が存在していた。
ナナリーと違い、スザクがルルーシュ・ランペルージの死後も生きていたのはゼロが居たからだ。
例えその正体に気付かなくとも、同じ魂に惹かれ、ゼロの存在は特別なものになっていった。ゼロを殺せば自分も死ぬと判っていたからこそ、スザクはゼロを撃つ事が出来たのだ。
まるで特攻の様にたった一機で騎士団に乗り込み、その後の一連の行動は、じっと成り行きを『観て』いたC.C.には無理心中にしか見えなかった。
あの日。ゼロが死んだ日。
ルルーシュは肉体が死んでも「いきて」いたが、逆にスザクは殆ど「いきて」いなかった。ルルーシュ・ランペルージが死んだ雨の日から少しずつ、けれど砂時計の砂が落ちていくような速さで、彼は朽ちていった。
今、枢木スザクが「動いて」いるのはルルーシュの遺言の為に他ならない。

動くだけの屍だ。今の彼は。

C.C.にとって意外だったのは本当に黒の騎士団がルルーシュの予想通りにスザクに従った事だ。
キングが死んだ後も彼らはゼロの『最期』を護り、感情よりも目的を優先させてブリタニアを壊す為に動き続けた。つくづくルルーシュの教育の良さには呆れるばかりだ。
ランスロットという総てを無視したルールブレイカーを得て、黒のキングを喪った後もゲームは続けられたが、流石に白のキングが死んだ後は終わるのだろう。
新しく始まるのはキングのいないゲームだ。共和制とか、そんなものかもしれない。
枢木スザクのその後に、C.C.は興味が無い。彼がキングにはならないだろう事は判るが。ポーンはキングになれるが、狂ったナイトはキングになれない。
己の最も大切な人間を、その手に掛けた男はこの先も壊れたままだ。ずっと。
けれどルルーシュの言葉があるから、壊れたまま廻りつづけるしかない。解放の日は来ない。

C.C.はその事に特に何も感じなかったから、ルルーシュの思い込みは言及しないでおいた。
会いに行くかと聞いたのは純粋にルルーシュの為であって、C.C.はこの綺麗な宝物を誰かと共有するつもりは一切無い。

傍らの顔を見上げる。
うつくしい横顔だった。目や鼻、パーツの一つ一つの均整がとれていて、まるで人形師が一番美しい形に整えて、この世に生み出したかの様に。
C.C.はルルーシュの顔が、その魂の次に好きだ。
ルルーシュの魂は、その幼い頃より辿ってきた路に拠って、歪み、変質していったが、彼自身でさえ気付けない程奥底の核の部分は、変わる事無く清らかなままだ。
C.C.が初めて見た時の、7年前の幼かったルルーシュも今傍らに居るルルーシュも、何一つ変わらない。
きっと、これからも。
今のルルーシュからは想像できないぐらいに、その本質は正義感が強く、道徳心に溢れ、優しくそして――苛烈。
だからこそルルーシュはこの世界を許せなかった。
顔だけでなく四肢や髪の一本一本、指先に至るまで、ルルーシュの造形はその魂を写し取ったかのように美しい。だからC.C.はルルーシュを視界に入れる度に、実は密かにしあわせになる。女は美しいものが好きな生き物なのだ。

ふと、視線に気付いたかのようにルルーシュが振り向く。C.C.の顔を見て、心底嫌そうに眉を顰めた。何て失礼なヤツだ、とC.C.は憮然とした。
そのままルルーシュはゲームの執着点に背を向けて歩き出す。
「最後まで見ていかなくて良いのか?」
まだ煙は昇っていく。おそらく轟いているだろう爆音も人々の悲鳴も、2人の居る場所までは届かない。
「…今、終わった。」
或いはずっと頭の中で戦局を展開させていたのかもしれない。C.C.にはその言葉の真偽は判らなかったが、ルルーシュが良いと言うのなら構わなかった。元より、C.C.はこの世界に関して関心が薄い。


力と望みの代償にスザクとナナリーと、自分自身の存在さえも喪い、C.C.の言葉通りにルルーシュは孤独になった。けれどルルーシュに少しも後悔はなかった。心残りも。在るのはただ、しあわせになって欲しいという祈りと、幾ばくかの寂寥。それだけだ。不思議と心は穏やかだった。

そういえば、とルルーシュは足を止めた。当たり前に後ろを着いて来たC.C.も立ち止まる。
「……お前の望みは良いのか」
「ルルーシュ?」
「一つだけ望みを叶えろと言っていただろう。いいのか?これからはお互い身一つな訳だから特に何もしてやれないぞ?」
言えば、キョトンと鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、次いで今までに見たことがない程眉間に皺を寄せてC.C.は深くため息を吐いた。
「お前は頭が良いし、勘も鋭い。好意や悪意にも十分に敏感なのに、どうして判ろうとしない。」
「――今の発言を聞く限り、俺が未だにお前の望みが判らないのは、お前の示し方に問題があるんだと思うんだが。」
「…………この朴念仁が。」
あぁ、でもそういえばYシャツ一枚で目の前に居て、あまつさえその格好でベットに寝転んでも動揺一つしなかった男だとC.C.は思い至った。
(いっその事、「お前と一族再興を考えている」とでも言えば、幾らこいつでも気付くか?)
その前に一言気持ちを告げれば済む事だとはC.C.は気付かない。
「――? 何を言ったんだ?」
半ば本気で憎しみを込めたC.C.の呟きは柔らかな風に掻き消されて、彼の人には届かなかった。




どんな怒りも悲嘆も風は優しく掻き消し、流した血も涙もすべて大地は吸い尽くす。
人々は忘却を得て、愛した人の躯から咲いた花の上を歩いてゆく。
世界は何があろうと廻りつづける。
けれどそれは救いであって悲しい事ではない。

人とは違ういのち。
人とは違うじかん。
違う理。

空は何処までも無慈悲だけれど、残酷ではない。

だから、さよなら。

さよならいとしい人。



もう二度と逢う事はないでしょう。








2006.11.21 Hello,hallow. Say "Good bye". I will never see you again. end