スザクにしては珍しく、ひとを殺す瞬間であるにも関わらず動揺は殆ど無いに等しかった。
周りにはレジスタンス――いや、黒の騎士団の面々。けれど彼等は武器を持っていない。
自ら棄てたからだ。
「彼」に銃を向けられたから。
ゼロが自ら作り、育て上げた彼等は本当に優秀な兵士になった。スザクがランスロットに初めて乗った頃に比べれば雲泥の差だ。
戦闘能力もそうだし、何よりゼロの命令に忠実で、ゼロを信じている。
こんな、ときでさえ。
ゼロに銃を突き付け、投降を促せば驚くほどあっさりと彼等は銃を棄てた。そうすればゼロが助かると知っていたから。
(ごめんね)
その決断が愚かだとは思わない。けれど、どうしようもなく間違っていた。
この場に騎士団の人間は十数人程度。対してスザクは背後にランスロットがあるものの、生身で一人。ランスロットから降りた瞬間に、形勢は逆転していた。
全員がそれを知っている。
知ってはいたが、彼等と、ゼロとスザクとは距離がありすぎた。彼等がスザクを殺す前にゼロが殺される。
(ごめん)
ゼロは彼等が銃を棄てても何も言わなかった。その行動を認めて、けれど彼は投降を拒否した。
判っていたからだろう。
スザクが、彼を撃つことを。
「なかなかに、久し振りだな。生身で銃を向けられるのは。」
「そこまで追い詰められる事が無かったんだろう」
「君は何時も私を追い詰めていたよ」
ゼロが嘲う。
けれど気分は悪くならない。
何度も対峙して、スザクは判った事があった。
(僕は、君をきらいじゃないよ。)
ゼロの行動は許せなくて、被害を大きくするだけの様にも見えたのに、むしろ今では奇妙な友情じみたものを感じていた。
それはゼロも同じなのかもしれない。もっとも彼の場合は、初めから友好的だったと言えなくも無いが。
彼と対峙する瞬間に限って、よくスザクは自分の幼馴染を思い出した。まるで自分と意見の違う幼馴染。スザクが誰よりも大切にしていた存在。自他とも認める「親友」であるにもかかわらず、彼とは一度だって意見の相似をみたことが無い。
彼はどうしただろうか。何を思っただろうか。
折角7年ぶりに再会できたというのに、スザクは軍務で最近は逢えていない。
ゼロを殺した後でなら、逢いにゆけるだろう。ナナリーは自分からは逢いにゆかないと笑っていたが、きっとスザクだけでも喜んでくれる。
(君には、あいたい、ひと、が。いるの、かな)
ルルーシュの綺麗な顔を思い浮かべて、ゼロに想いをはせた。
右手から、かわいたおとが、なった。
「ゼロォ!」
「な、」
「貴様ぁっ」
「動くな!」
騎士団の人間達が動き出して、あぁ、自分も殺されるんだな、と思った。ゼロに銃口を突き付けた瞬間からスザクの頭の中では、ゼロの死はスザクの死でもあった。別に変なロマンがあるわけではなく、冷静な状況分析に拠るものだが。
けれどその半ば確定された殺人を止めたのは、撃たれた張本人の声だった。
あまりに力のある声に、彼等は勿論、スザクまでもが驚愕した。
(撃ち損じた?)
心臓を撃ちぬいたはずだ。即死したっておかしくは無い。
(防弾服をしていた?)
あんなに細い体躯で?血が流れているのに?
「止めろ。この男を殺すな。」
声のつよさとは違い、ゼロは辛うじて膝をついていない状態で、穴の開いた胸を押さえている。指の隙間からじわじわと血が溢れ出ていて、彼の衣服を更にどす黒く染め上げていく。
死ぬのだ。ゼロは。間違い無く。
それなのにどうしてこんなにもしずかなこえがだせる?
どうしてたっていられる?
「…全く、これもギアスの力か。そういえばC.C.も頭を撃ち抜かれたのに生きていたな。…俺もか? 違うな。それならすぐに死んでから生きかえる筈だ。」
マスクと仮面に遮られ、一番近くに居たスザクにもよく聞こえなかったがゼロは苦笑したようだった。
ゆっくりと、ゼロは真っ直ぐ背を伸ばした。その動きは億劫そうで、受けた痛みの大きさを表してはいたが、静止した彼は何事も無かったかの様に泰然としている。
血は流れつづける。衣服を濡らし、脚を伝って地面に赤い円を描く。流した血の量だけ、肩の荷を降ろして行く様に、彼は今まででいちばん身軽に見えた。
「私の死後、お前達はこの男の指揮下に入れ。」
ゼロが騎士団に向けて言い放った。先程から自分の見ているものを信じられなかったが、今度は耳を疑った。スザクにしても、彼等にしても。
「何、を言って…」
訳が判らず震えた声を発したスザクに、ゼロが嘲う。今日の彼はいつになく、わらう。目論見が思い通りに進んで、可笑しくて仕方が無いと言わんばかりに。
「……考えた事は無いか」
ゼロは両手を広げて言った。まるで舞台に独り立つ役者の様に。スザク達はもはや観客でしかなかった。何時だってそうだ。ゼロは『場』を支配するのが圧倒的に上手い。それは強い意思の込められた声であったり、威圧感を内包した空気であったりした。
「ゼロと直接、対峙してはいけない。」既にそれは軍の定説だ。
「考えた事は無いか。
私は破壊を、君は対話を選んだ。世界は進み、結果的には皮肉な事に私は民を、君は軍を手に入れた。――まぁ、どちらもまだ半分ほどでしかないが。
そして此方には『権力』が。其方には『支持』が足りない。
――私がそれを与えてやろう。
君が内側から変えていった様に、私が外側から変えていったものを。枢木スザク。
君 に、 委 ね よ う 」
それは、確かに誰の頭の片隅にもあった、闘争の答えだ。そして誰もがあり得ないと判っていた方法。――けれど。
中途半端な位置に構えられた拳銃が、腕が震える。銃の引き金に掛かったままの指先から金属の冷たさが侵食してくる様にスザクは寒気を感じた。
ゼロの足元の血だまりは、もはや広がりを見せない。その意味が指し示す現実は明らかであった。
この場に存在している立った一つの死体がわらった。
「…もう、無理だ。そんな事が出来るはずが無い。僕が君に従うと? 君を殺した僕に彼等が従うと?」
ありえない。そう断じたスザクに、ゼロは一層愉快そうに笑う。嘲う。わらう。そうして断言する。スザクよりも遥かに強く、未来を詠み上げる裁定者のごとく。
「いいや、従うさ。私がこの仮面を取って見せれば。『私』を知った君を見れば。必ず彼等は従う。私の命令通りに。」
言って、ゼロが仮面に手をかけた。周りの騎士団の息を呑んだ気配が伝わってくる。ゼロは彼等にまで素顔を見せた事が無かったらしい。
「お前は俺の望み通りに動いてくれるさ。スザク」
やさしいこえ。
瞬間、スザクの本能が警告を発した。
これを見てはいけない。これを認識してはいけない。目を逸らせ。今すぐに。決して見るな。見るな、見るなみるなミルナ。見れば壊れる。
――なに、が?
仮面が外される。スザクの中の警告とは正反対の軽い音をたてて地面に転がり、ゼロの流した血の海から赫い線を引いた。顔の半分以上を隠したマスクを下げようとして少し俯く。黒い髪が残された目許を隠して、顔はまだ見えない。
(くろい、かみ)
何処かで騎士団の一人の叫び声が聞こえた。――あれは確か、同じ生徒会メンバーの少女のこえ。
マスクが血に塗れた指先によって下げられる。ほそい、りんかく。スザクはその青褪めたくちびるの形を知っている。
頭の警鐘は一層強く鳴らされる。見てはいけない。みてはイケナイ。――みなくてはいけない。この存在から視線を外す事など許されない。
ゼロが顔を上げて。
微笑い、かけた。
「すざく。」
――皆、泣いていた。
リヴァルは何も言わなくなって、シャーリーは怒っていた。泣いて泣いて鳴いてないて。土砂降りの雨の中、スザクは何も理解できずにただぼうっと突っ立っていた。ナナリーだけが落ち着いていて、何もうつせない双眸で空の箱を見つめていた。
スザクはルルーシュに逢いたかったけれど、ゼロが他の誰かに殺されるのも何故だか厭だったので、彼を殺したら逢いにゆこうと決めていた。――あいに、逝こう、と。
その、彼が。
「うあああぁあぁぁあ――――っ!」
倒れこんできた彼を抱きとめて、スザクは絶叫した。視界がぐるぐる廻って気持ち悪い。吐きそうだ。周り中から耳を引き攣るような音が聞こえる。
ちがう。これはじぶんのこえ。
けれど、その中で彼の青白い顔だけが鮮明に存在している。
(どうしてどうして、どうして――!!)
狂った思考でそれだけを思う。
どうしてゼロが彼なのか、どうして彼がここに居るのか、どうして倒れているのか。どうしてどうして。
――どうして、かれ の からだ は、こんなにも ぬれ て、る?
「遺言だ、スザク。」
スザクの混乱を気にもせずに彼が続ける。細い躯は氷よりも冷たい。
「ル、ルーシュっ」
「ナナリーの事、よろしくな」
込めていた全ての力を抜いて、今までで一番きれいな顔で彼はスザクに微笑いかけた。
「最後の一手を、お前にあげよう。」
たった人差し指の力だけでスザクはゼロを殺したが、ゼロはもっと簡単に、微笑むだけでスザクをころす事が出来たのだ。
2006.11.20 ダブル・ギャンビットend
【Double Gambit】
2つの手を同時に進めて、片方が潰されてももう片方がチェック出来る様にする戦術。
地域によっては戦術的に払われる双方の犠牲も指す。