暮れゆく世界を前に力なく座り込んで、カレンは目の前の風景をぼうっと見つめる。
考える事は沢山あった。
考えなければならない事も。
けれど、再び紅蓮を駆ったあの日の夜から、ほとんど休みなしのまま戦い続けた頭では、明確な未来は描けなかった。かといって休もうという気は起きない。
感情は静かなのに、精神は高ぶっている。頭はひどく明瞭だ。体はほんの少し重いが、動けない事もない。立とうとすれば、誰の力も借りずに立てるだろう。

なのに、考える事は出来なかった。

思えば、ずいぶんと遠くまで来てしまった気がする。一歩も動いていない気がする。
あの日、から。
けれど実際はまだ2日と経っていない。ただひたすらにブリタニアと戦い、戦い続けただけだ。「実際」は。

「…馬鹿みたい」

どちらにしても、何があっても、カレンに出来るのは戦う事だけだ。戦略をたてる事も、軍を動かす事も、国を創る事も出来はしない。
何を勘違いしてたのだろう。
戦うだけなら、カレンは剣でしかない。盾でしかない。
そして、剣は主を疑ったりしない。盾は主から離れたりはしない。
「馬鹿みたい。私は無機物以下じゃない。」
「そう自分の事を卑下するものじゃない」
声と共に、小石が敷き詰められた砂利道を踏みしめる音が背後から聞こえた。気配は無かったけれど、こちらにやって来る足音はその男の気質を表したかのように軽いものだったから、カレンは警戒する気も起きなかった。そもそも、もう終わったのだ。戦いは。
「そんなに卑下されると、君に負けた私の立つ瀬が無くなってしまう。」
「何が負けたよ。相撃ちじゃないの。どう見ても。」
「いついかなる時であっても女性に恥をかかせてはいけないと躾けられているのでね」
「あっそう。」
けれど今それを言ってしまっては気遣いの意味もないという点についてはカレンは突っ込まなかった。
カレンの隣まで辿り着けば、ジノはそこで足を止める。
けれどカレンに視線を向けないのは、それこそ「紳士の気遣い」というヤツなのだろう。カレンは泣いてなどいないのに。
それか、カレンに興味はあっても、執着は無いためだ。ジノの心が向かう先は、根本はずっと遠く、この風景の先にある。
「見事だった。」
誰に対しての賛辞であるのか、判らないほどカレンは愚かではない。
カレンではなく、視線の先、脳裏に描いた映像に向けての賛辞。それはとても晴ればれと、一種の達成感さえ含まれていて、カレンはひどく悔しくなる。
この戦争に誰一人として勝者はいない。それでも、一個の人間として、戦士として、ジノに負けているように思えた。
ただ戦っただけ。
ジノもカレンもその点は同じだ。
だがジノはずっと自分の足で立っていた。今のように。命令の意味も、世界の在り様にも揺るがず、考えず、疑わないでひたすらに戦い続け、従い続けた。
カレンもそうしたかった。
そう出来ていたと思っていた。
なのに最後の最後で疑ってしまった。他人の言葉で揺らいで、離れてしまった。一人に、させてしまった。
…きっと、それは距離感の問題なのかもしれないけれど。
ジノは彼の主とは遠く――心も立場も何もかもが遠く、カレンは彼の人に近付きたいと願っていたから。
(でも、そんなのは言い訳だわ)
ジノは、一本筋で、きっとこれからも主君とは適度に離れた場所で、揺らぐ事無くまっすぐ立ち続けるのだろう。
それは一種の暗愚であり、愚かさでもあったけれど、カレンにはその在り様がひどく羨ましい。裏切りとは無縁の生き方だ。…そして、騎士にとって、それが何より大切な事なのだ。
「…ねぇ、アンタは何を信じているの」
「君は?」
答えもよこさず切り返されたその問いは、カレンにとって一種の恐怖だった。
信じているものが判らないのではない。それを信じている自分の心が信じ切れなかった。そうして、ずるずるとここまで来てしまった。
(本当に、馬鹿みたい!)
もうとっくに心は決まっていたのに。決断の時は、ずっと昔に過ぎ去っていたのに。
(――こんな時でさえ。こんな風になってさえ、彼に向かう心のどこに私以外の意思があるっていうの!)
こわかった。
こんなにも誰かを思い続けた事なんてなかった。
だから、ずっと自分を、自分の心を受け入れられずにいた。
正体を隠してた事を言い訳にして、ギアスがあった事を言い訳にして、「護る」とか「戦う」とかそんなことばかり口にして、その実、自分自身の心から逃げていた。
でも、もう終わらせなければ。
いい加減、向かい合わなければいけない。

(わたしは、あなたとともに、いきたい)

たとえ、どんな形であっても。
もう受け入れてくれなくても。
「前に、言ったわよね」
「うん?」
「シュタットフェレトを。ブリタニアの血を選べば、私はナイトオブラウンズにさえなる事が出来るって」
ジノは先ほどの答えを求めなかった。カレンも答えはいらない。ただジノは、変わってしまった話題のその内容に、僅かに瞳を輝かせちらりと一瞥を投げてよこした。
「あぁ、言った。君なら、あのスザクにさえ勝ったんだ。文句を言う奴はいないさ。」
おまけにラウンズは君達のおかげで人手不足ときている、とジノは同僚の死を軽く放る。そこに含みはない。
「ナイトオブスリーにも勝ったらしいしね」
「それは言わないでおいてくれ」
それ見たことか。心の底では塵ほども自分が負けたとは思ってないじゃない、とカレンはその言葉を内心で鼻で笑った。
そして、ぽつりと零す。

「…赦して、くれるかな」

「大丈夫」

聞こえるとは思っていなかった弱音に、思いもよらない強い肯定が返ってきて、カレンは思わずジノを見上げた。
ジノはそんなカレンに頓着せず、依然として自信に満ちたはっきりとした眼で、彼の主がいるであろう地平の先を見詰めている。
「大丈夫さ。先輩は優しい人みたいだから」
「…『みたい』じゃないわ。――優しい、ひとよ。解り辛くて、でも、すごく優しい人だわ」
「そうか。」
「そうよ」
とても。とても、判り辛いけれど。

眼の前の風景を、座り込んだままぼうっと眺める。
ずっと先まで、海が広がっている。
数メートル先に機体の半ばまで沈んでいる赤と白は紅蓮とトリスタンだ。
ボロボロになるまで戦い続けたがから、引き上げても再び使えるようになるまでしばらく時間がかかるだろう。そもそも、再びナイトメアを使うとも限らない。
軽く足に力を込めて、立ち上がる。
変わった視界に、けれど望んだ場所は未だ見えない。
頭上には光が反射して薄く色づいた雲が浮かび、さざ波は無いけれど、海面は静かに揺れる。地平の向こうまで。

――その先に、彼はいる。

「さっきの問、」
だから、ようやく取り戻したばかりの祖国に背を向ける。振り返る事もせず、背を向け続ける。
望んだ場所は、別にある。
「私が信じるものは、私自身よ。」
彼を望むカレン自身だ。
「――いい、答えだ。」
ジノが笑う。カレンも、まだ上手くはいかなかったけれど、それでも笑った。お互い目も合わせずに、空のむこう、海のさきを見つめながら。
日が沈む。
世界が暮れてゆく。
ならば、沈むその先にある彼の世界は、朝なのだ。

朝、なのだ。





2008.08.20 ベリアゾールの血環