存在と無。
破壊と再生。
痛みと喜び。
かつては真壁紅音によって。
そしてこの島によって、皆城乙姫によって、皆城総士によってフェストゥムにもたらされた『祝福』。
ならばこの、目の前の少年がもたらすものは何であるのだろう。
真壁一騎という、皆城総士が何より想い、執着した少年は。
アルヴィス内部を案内する一騎の後ろをついて歩きながら、来主操は『思考』した。
それさえも、操には初めての経験だった。まるで「人間」のように、何かを考える事は自分達フェストゥムにとって、在り得ない事だったのだから。
読心能力で人の心を覗き、同化することで『ひとつ』になっても、操や多くのフェストゥムにとって『感情』は難解だった。――いや、難解だと感じる事そのものさえなかったのだ。
操と他のフェストゥムとの間に自己と他者と違いは無く、「自分」はそこに『いない』。存在し得ない。
ただ「我々」が『ある』。
境界線は存在せず、どこにもいて、どこにもいない。
ただ、それだけ。それだけだったのだ。今まで。ずっと。

「お前、どこか行きたい場所はあるのか」

声に、慌てて前を向けば、一騎が――圧倒的なまでの『他者』が操を窺っていた。
いつの間にか通路の入り口、つまりはこのブロックの出口に差し掛かっていたらしく、一騎が立ち止まって操を待っていてくれたのだ。
それに何故か身体の内部が安堵――そう、これは安堵というものだろう。おそらく――するのを感じた。
一騎が操を置いていかなかった。
たったそれだけの事が。
こんなにも――『嬉しい』。
何も答えない操に、一騎が首を傾げた。キールブロックの流体コンピューターが放つ水面の波紋が、彼の頬を照らし、青い文様を描く。
(きれいだな)
青白い白哲を、ぼんやりと見つめる。
真壁一騎は、操が知る皆城総士の記憶とは様相が少し違っていた。
黒かった筈の瞳は赤く、健康的だった肌は血管が青く透けて見えそうに、白い。同化現象による色素の欠乏だ。
余分な色素がないだけ、一騎の肌に反射した青は綺麗だ。
ゆらゆらと揺れて、溶けて消えていきそうな、透明な青。
(いやだな)
一騎が消えるのは、いやだな。
ぽつり、感じた想いがそのまま操の口から出ていて、一騎はその内容に眉をひそめた。
「…お前に、そう言われるのは変な感じだな。」
一瞬にして一騎の感情が波立って、瞬く間に鎮まる。操にも読み取る事の出来ない速度で。
「――ここ、総士がこの島で最後にいた場所なんだ」
ひとつ、息を整えて、言う。
一騎が操の後ろを仰ぎ見たので、釣られて操も振り向く。
奥にそそり立つシステムの名前を、操は知っている。
ジークフリード・システム。
かつて皆城総士が操り、彼にしか扱う事の出来ない感情・体験共有型の指揮管理システム。今は無人のそれ。
「一騎は総士を待っているんだよね」
「あぁ」
想いを籠めるように、語調が少し強くなる。慈愛と悲しみと――なんだろうか。懐古のようで、でも別の何かのようでもある。
複雑に絡まった、人のこころ。
「…俺達と手を結んでくれれば、総士のところに行けるとは考えないの?」
「考えない。」
怒るかもと危惧したが、一騎は揺るがなかった。
優しく淋しい感情で、総士を想っている。
目の前に操がいるのに。
「総士は帰ってくるって約束した。
俺は待ってるって言った。
だから、俺はここであいつの帰る場所を守りながら待ってる。ずっと。」
それは俺が俺であることが前提だから。
ゆらゆら揺れる水面。
それと同じくらい不安定で、なのに揺るぎない。
「戦うのが怖くないの」
振り向く。一騎はまだ『昔』を見ている。
「一騎は痛くて辛いんでしょう。なのに何で戦おうとするの。戦う事を選ぶの。」
「こわいから」
吐息のように自然に答えて、漸く操に目を合わせる。
一騎の赤い双眸に、他の誰でも無い人型の『自分』が映っている事が、何故か操をひどく落ち着かせた。
「誰かがいなくなる事が怖いから。喪うのが怖いから。
…だから俺はお前達と――お前とだって、戦うよ。来主。」
それは決別にも似た覚悟なのだろうか。まだ操にはわからない。理解出来ない。したくない。
だって、操が頷いてしまえば、操は一騎と戦わなくてはならなくなる。
「お前はどうしたいんだ」
一騎が問う。
「…俺はミールの意思に従うよ。」
「そうじゃない。『どうするか』じゃなくて、お前は『どうしたい』んだ。」
「え、」
何を問われたのか、操には分からなかった。
「お前は、何を望むんだ。来主。」
絶句した操に、それでも一騎が問う。
――人間が、フェストゥムに『問いかける』。
「ミールとか、命令じゃなくて、お前はどうしたいんだ。どう、なればいいと思ってるんだ。」
答えられるわけがなかった。
それは既にフェストゥムに属する種の前提からして異なっている問いだ。
辛うじて操が『個』であろうと、フェストゥムにとっては元来、『純個体』なんて在り得ないのだから。
「――困るよ」
漸く、必死で、それだけ絞りだす。
心底そう感じている事が明らかな風に、弱々しい声で。
「そうやって、何でも俺に選ばせないでよ。困るんだ」
「そうなのか?」
「情報量が多すぎるよ!
俺は、俺達は君達が言うところの一般種なんだ。一番シンプルでノーマルな、単純な構造の、組織の末端。
俺はただ俺達のミールの意志を伝える為だけにいるんだ。俺に問いかけられても答えられないよ!」
「いつもはお前達が問いかけてくるのにな」
ぎくりとした。
何気なく発せられた問いかけに、奪われたものがあるのだと知らしめる刃を孕んだ言葉だった。

――あなたは、そこにいますか。

指向性のない問いかけは、純粋にその問いに反響する意思の有無によって、自分達ではない存在を感知し知覚するためのものに過ぎない。
そこには、どんな意図も感情も在りはしない。
それなのに人は言うのだ。
その問いに、奪われたのだと。どこまでも理不尽に、唐突に、暴虐なほど一瞬で、奪い尽くされるだけだと。
「お前達は、どうして問いかけてくるんだ。」
人の子が問う。
今度は、その簒奪者に向けて。
「その言葉に、本当に意味は無いのか。戦って、奪って、奪われて。それでお前たちは何を思うんだ。」
身が竦むような絶望と悲しみを心の奥底に持っているくせに、そのすべてを泥と一緒に深く深く沈ませて、ひどく静かな凪いだ湖面のような感情で、一騎は操に問いかける。憎しみを含まず、けれどいかなる容赦もなく。
「…わからないよ」
「誰かを、消した事があるんだろう。誰かに奪われた仲間がいたんだろう。
何も、感じないのか。本当に、何とも思わないのか。」
「わかんないよ!」
駄々をこねる子供のように、頑なに首を振る。
そうすれば一騎が諦めてくれるとでも期待しているかのように。
「わからない。そんなのわかんないよ!」
だって本当に、『感情』という概念すらも手探りし始めたばかりなのだから。
「――そうか、お前、まだ生まれたばかりなんだな。…赤ん坊なんだ」
どこか腑に落ちたように一騎が言う。
「…お前、こんな形で島に来なければよかったのにな。」
悲しげに、息を吐く。そう見えるのは、操の思い込みだろうか。
「もっと平和な、戦ってない時に来て、学校とか店とか裏山の方とか行って、アルヴィスなんかじゃなくて、戦う為とは別のもの、たくさん見れれば良かったのにな。お前達と戦ってなくて、まだみんな心に余裕があって、お前に悪意とかあまり抱かない時に来て一緒に祭りで遊んだり争うばかりじゃなくて、空以外にも綺麗なものいっぱい見れたのにな」
それは夢物語だ。
夢想する事さえ赦されない、あたたかで幸せな。
『犠牲』という概念を得る事が無ければ、操は――「来主操」という『個』は存在し得ないのだから。
あらゆる、喪失の果てにしか。
「…そんなこと言われても、俺は、」
『俺』は、何だというのだろうか。
自分が何と続けるべきなのか、操は急に分からなくなる。続けようとした言葉が、声に出る寸前で消えていく。
一騎に向ける事の出来る言葉が、経験が、操には圧倒的に不足していて、そしてどれもが至らない。
総士の、人の知識を覗いただけの操の放つ全てが薄っぺらで、一騎まで届かない。
付け焼刃なのだ。結局。

何も言わない操に、一騎が息をつく。
2人しかいない広い空間で、その音は真っ直ぐ操まで届いて、思わずびくりと震えた。
一騎は厭きれただろうか。
それは嫌だった。
一騎に嫌われてしまうのは嫌だった。
『こころ』と呼ばれるように、操のコアが冷えてゆく。勘違いであっても、そんな気がした。
「お前、自分は指だって言ったな。どの指なんだ?」
唐突に、一騎はそんな事を言う。
「一騎?」
「指にも違いってあるだろ。
親指と小指とか、大きさも役割も、重要性だって違う。」
「か、一騎、待って。指っていうのは喩えで、」
「なら、お前は何なんだ?」
畳みかけるように、一騎が問う。
操の困惑も動揺も見て取って、それなのに気にもせず。
「指は考えないって、お前は言う。感じない、命令しないって。
俺には、お前が、お前達がそんなものには見えない」
ゆっくり、一騎が歩み寄ってくる。
逃げ出したくなるほど恐ろしいのに、操の足は動かない。
一騎が傍に、『こちら側』に来てくれる事を、ずっと、畏れも凌駕するほど歓んでいる自分がいた。
「…お前達が問いかけるのは、理解したいからじゃないのか。
話を、してみたいと思っているからじゃないのか」
初めから少なかった距離は、数歩で縮まる。触れ合えるほどに。
「それは、」
「お前、困るのは考えているからじゃないのか。考えて、分からないから困るんじゃないのか。
それは分かりたいって事なんじゃないのか!
空がきれいだって思ったんだろう!カレーが食べてみたいって、好きだって、同じように空を見てくれる奴を探してたんだろう?
それは感じるって事じゃないのか。考えるって、感情があるって、ここにいるって事なんじゃないのか!」

「やめてよ!」

それはきっと反射だった。
傷付けようと思ったわけではなかった。害意があったとか、同化しようとしたわけではなかった。
なのに、自分の腕だった場所は一騎の左手首までを覆っていた。

――緑の、結晶で。

「あ、……あっ、」
外敵から身を護る防衛本能のようなものが、自動的に作動してしまっただけだ。
だがそれが言い訳にはならない。
人でいう過呼吸に陥ったように、恐慌に喘ぐ。
フェストゥムには必要のない、ただ酸素を取り込むだけの動作を繰り返す。
「うぁ……っ!」
視界で、一騎が不測の事態に驚愕で目を見開いていた。絶句して、唐突な裏切りに目を剥いている。
その赤い、真っ赤な眼が、数秒後には怒りと憎しみに燃えて操を見るのだ。
「……ゃ…だぁ…っ…」
何よりも激しい嵐のように絶望が押し寄せて全てを浚っていく。
嫌われたくなかったのに。
傷付けたくなかったのに。
――いなくなってほしくないと思ったのに。

操は知っている。
一度、攻撃を、喪失を与えられれば人もフェストゥムも、互いを赦す事などないのだと。
憎しみを選び択り、戦いを、その怨嗟を世界中に広げていくのだと。
操の神様が――自分達のミールがそうであるように。
だから操は赦されない。
一騎が、ゆるさない。
赦す筈が無い。

彼の、左手はどこにも存在してないのだから。

どこにも、無いのだ。
操が、喰らった。

(――喰いたい)

ピキリと、結晶が成長しようとする。
漸く口にする事の出来た極上の餌を、舌舐めずりしながら味わうように、ゆっくりと、咀嚼している。
「ち、違う!待って、」
『一騎』
喰らい尽くそうと差し迫った欲望は操のものではない。だが行為を実行しているのは操に他ならない。
一騎は赦さない。


「…そんなに恐がらなくても大丈夫だ」


(――え、?)
怨嗟も憤りも含まない優しげな声がした。
聞き間違いかと思うほど。場違いな願望が、幻聴が耳朶を打ったかと思うほど。
やわらかい、こえ。
視界の中でまだ無事な右手を、左腕「だった」場所に置く。
衝撃に、音が消える。

「――――」

きっと、一騎は何事かを呟いた。
けれど、操はそれを耳にする事が出来なかった。

ただ、ぱりん、と。

軽い、硬質な音で結晶の砕ける音がする。
一騎の腕が砕ける音がする。

――なのに、視界の中で3本の腕がある。
操と、一騎の細い腕。

『どこにもなかった』、一騎の左腕がそこに『ある』。

「……なん、で…?」
情報が、到達しない。
この光景の意味が判らない。
一騎が両腕を身体の側面に戻す。動きを確かめる事もせず、『何も無かった』かのように。気負わず立っている。
「こっち見ろよ来主」
声に従って、のろのろと操は顔を上げた。一騎の赤い、穏やかな双眸がそこにある。
「…ほら、大丈夫だったろ?」
一騎が、小さく笑う。操に。
どっと押し寄せてくる感情は安堵だ。これこそが、安堵という感情だ。
完璧に、理解する。
そして『歓喜』だ。
一騎が、変わらず操に笑いかけてくれる現実に対する。
ぱたりと、中途半端な位置に浮いていた手が落ちる。
感じる慕わしさは、誰のものなのだろう。

『一騎』
(かずき)

希求する声。
操が、消えないように内に眠らせ擁護している総士の声。
一騎を、求める声。
でも、最早操自身の声にしか聞こえないのに。
(かずき、かずき、一騎、)
これは、本当に『自分』の声なのだろうか。
(俺は、君を――)
これが、植え付けられた親近感と愛着で無いと、証明する手立てが操には無い。
操はからっぽだから。
だから操は一騎に――。

「来主、」
一騎が言う。

「俺は、お前達になにも与えない。」

その一言で、操は一騎が――人間が、フェストゥムの思考を読み取ったと知れた。
おそらくは、あの一瞬で。正確に。如何なるシステムの助力もなしに。
これは――何なのだろうか。
操は茫然としていた先程の衝撃が、漸く鈍い速度で己の深部に到達するのを感じた。
成された事実を、理解する。
『どこにもなかった』ものが、そこに『ある』。
急に揺り籠から世界に放り出された子供のように、ぶるりと震えた。
それは、恐怖に近い。
一騎本人ではなく、人が、眼前の存在が至った、その極地が。自分自身を、自らの手で磔にしていくようなものだ。さいはてに、一騎は立っている。

――『これ』を、人と言うのだろうか。

一騎はそっと目の前のフェストゥムの両手をとった。
力を込めずに、いつだって振り払えるギリギリの強さで。

あたたかかった。

けれどその熱も、もうすぐなくなるのだ。操は、この島に存在する誰よりも明確にその時を知っている。
――砂時計の砂は、とうに落ち切っているのだ。
「ごめんな」
この島のミールの一部をその身に融合させられて産まれ落ち、そして一度自分の意思で生まれなおしたアルヴィスの子供は、もうすぐ『いなくなる』。かならず。だから、あとは砕け散るしかない。
「俺は、お前を慰めてやれない。」
一騎のもたらす悲しみが、雨のように操に降り注ぐ。
それが、そのまま両目から零れて、濡れそぼる操の頬を伝い、アルヴィスの白に落ちていく。
「お前が辛くて悲しくて泣いてても、俺はお前を慰めてやれない。
どんなにお前が嫌だって言っても、俺はお前達と戦う。

俺は、お前にはならない。」

「いなくなっちゃうよ」
「それでも」
「でも、それじゃあ悲しいだけだ。痛いだけで、悲しみばかりが増えていく!」
「本当に、そうなのか。それしか道は無いのか」
「ひとつになればいい!」
「でも、来主、それじゃあお前と手も繋げない。」
はっとしたように、操が繋がれた手を見る。操の疑似体温とは違う、ほんものの、あたたかさ。
「こうして話す事も、ぶつかり合う事も出来ない。想いを分かち合うこともない。
どんなに相手の心を読んで、相手と同化して一つになっても、結局一人だ。
空を見ても、何をやっても一人ぼっちで、――それじゃあ、さみしいまんまだ。」
「でも!」
ぐっと首の裏側と顎に力を込めて顔を上げた。自分を奮い立たせていなければ、痛みに耐えられなかった。

「でもっ、一騎はもう殆んど僕達と同じものじゃないか!」

一騎が色素の消えた赤い瞳を見開いて、困ったように笑う。苦笑、のような。諦めとは別の、なにか。
驚きは、少ない。
知れれば――或いは幾人かは気付いているだろうに――今まで操一人に向けられていた拒絶と嫌悪が少し形を変えて一騎に向かうのは明らかであるのに、一騎は戦うと言う。
家族の、友人の、自分を忌むだろう島の、――そして総士の為に。
彼らの為に、操に刃を向けるのだ。
「…来主、俺は…ずっと怖かった。
戦うことも、戦う事に慣れていく自分も、今までの自分がいなくなること、自分が変わっていくこと、全部が怖くて仕方なかった。」
言葉を切って、緩く頭を振るう。
「今も、こわい。
どんなに怖くないって思ってても、結局、ギリギリの、いなくなる瞬間はどんなに覚悟しててもこわくて、いなくなりたくないっていつも思う。
…おかしいな、俺達。どっちも戦いたくないって本当は思ってるのにな。
それでも、それよりも大切なものがあるから。
だから、俺はお前に慰めも与えてやれない。
――なにも与えられない」

なにももたらさないなんて嘘だ。だって操はこんなにも悲しい。

かなしい時に何故ひとはわらうのだろう。
一騎は、さみしそうに微笑う。
操はフェストゥムだから、悲しい時は涙するだけなのだろうか。
だから単一な行動しか出来ないのだろうか。
ほんとうは操の方がずっと演算能力は優れているのに、だから一騎の問いにも応えられないのだろうか。
――ひとであれば。
皆城総士であれば、解を提示できたのだろうか。

一騎が、手を繋いだまま歩き出す。
「なんか温かいの淹れてやるよ」という言葉で、操は自分の体が冷え切っている事を自覚した。
まるで、人間みたいに。

――かつて、皆城総士は真壁一騎を同化しようとした。
真壁一騎はそれを拒絶した。
真壁一騎は皆城総士に傷を与えた。
それは皆城総士にとっての祝福に他ならない。
無を拒絶し存在を与え、そして――傍にいる事を望んだ。

操が望めば、一騎は操にも傷を付けてくれるだろうか。
けれどそれを望むには『痛み』は恐ろしく、それさえも拒絶されたらと思うと動く事が出来ない。

『おまえは、なにを望むんだ。来主』

いなくならないでと願う事は出来なかった。彼を消そうとしているのは自分達なのだ。
戦わないでと言う事も出来なかった。彼らに戦いを挑んでいるのは自分達なのだから。

傍にいてと願う事は出来なかった。離れようとしているのは自分だから。

求められている本質を避けて、操は一言だけ紡いだ。
擦れて、小さな。
それでも『望む』のは途方もない勇気が必要だったけれど。


「手を、離さないで」


「いいよ」

一騎が笑う。

操はまた少し、泣いた。


自分は人になりたいのだろうか。
だが様々な感情のようなものがせめぎ合い混乱した中で、明確な答えは何一つ見付けられなかった。
だから操は手を引いて歩いていく一騎の背を、ただ見詰めた。
この背が、もうすぐ喪われる事が、あたたかな繋がりをほどかれるかもしれない事が、ただ不安で。
何も理解出来ず、不安に覆われて。
操が確かに感じ取れたのは、今この島の中で、自分と一騎の2人だけが異質な狭間の生き物なのだという事だけだった。

自分達、2人だけが。


この、せかいで。







2011.02.05 特異点のこども end